心労が少しなくなった。

実に単純な話だ。

推し輩がLINEを返してくれるようになったからだ。

やはり推しと会話するだけで心が安らぐので、推しはすべからく推しなのだなと思った。

 

そしてこの前、推し輩の同期の子から、推し輩の写真をもらえる機会に巡り合った。

とても嬉しかった。どこにも出かけていないから、推し輩の写真が全然ないのだ。

遊びに誘っても断られてたから、コロナで(多分)。

 

ふと、コロナがなければなぁと思うのだが、コロナでなければ推し輩が推しになることはなかったんじゃないかって思う。なんとなく。
 

コロナが私の気持ちに影響したことは、結婚はしなくていいか、と思えたことだ。特にコロナ離婚は衝撃だった。在宅によって離婚が増えるなんて思わなかった。

親とか周囲とか関係なく、心から愛した人と一緒にいられるのが最高の幸せなのかもなあ、と思うようになった。

 

結婚に対する価値や義務のような何かは、男女では異なるのだろう。違いを理解して受け入れられるのか何度も考えた。受け入れられないことは悪ではない。ただ、相手はそれを赦し支えになれるのか、なってくれるのか、相手に何かしらの”呪い”をかけることにならないか。など。相手に求めてばかりだなあと思った。これは、無理やり価値を作りたいだけなのではないかと至った。価値観に不変なことなどあるのだろうか。とまあ、自分の中で納得いかない部分が多かったため、一旦保留とした。

 

ただ、心から推し輩を愛することができても、推し輩と一緒の空間で寝食をともに過ごせるかなあ。他人と同棲したことがないからわからない。

 

そして今写真を見ながら書いているのだが、推し輩は髪の毛が伸びてきたと思う。

ゆっくり伸びているから、全然気づかなかった。

というか、推しだと思う前のころ(去年の十月以前?)髪が短かったことすら覚えていない。本当に記憶にない。全く興味がなかった。

 

推しが伸ばそうかどうか迷っていた時に、とても褒めて褒めまくって伸ばしてくれないか懇願したことがある。それが発端というわけではないだろうけど、伸ばしてくれているのはポ/ニ/テ好きとしては純粋に嬉しい。

 

明日も元気な姿を見せてくれるといいなあ。