我慢できずにLINEをした。趣味の話を振るとすぐ返ってくるのは素直でいいなと思う。逆を言うと興味なさそうなことはめちゃ遅いんだけど。相手にも色々事情があるのだろう。

 

推し輩の好きな作家を追うってこの前言ったかもしれないが、昔読んでいたことがあったらしい。実家に久しぶりに帰ってその作家の話をしたら、家人があるよその本、とな。あったみたいです。記憶にないんだけど。家人のセンスがすごい。

 

それでも、LINEがものすごく短い。まるで話をしたくないようなそっけなさだ。直近の推し輩に事務用事があることを思い出して、今週はたまたまそうだったと言い聞かせている。申し訳ない。自粛自粛。

 

自分を相手の立場だった時、を考えるのは大切だ。でも自分の思考を重ねるのは危険だ。なぜなら、自分と相手の価値観は異なるからだ。

この「価値観」と言うのが大切だ。

 

例えば、危険な思考例として

忙しい時に、もし自分の好きな人からLINEが来たら、忙しくても時間を作って返信するだろう。そうでないということは、好きではないということなのかもしれない。

 

といった具合だ。

 

好きな人から、という設定が利己的だ。正確には、好きな人ではなく、会社の同僚、となるのだ。返すはずがないだろう。単純に個人の中で他人というものの優先順位が低いだけかもしれないし、それよりも大切なことが人がいるのかもしれない。

他人を推し量るのはよそう、となった日だった。

 

これまでの推し輩の私への行動が、もしかしたら、私のことが好きなんじゃないか?と勘違いさせたのだ。恋慕でなく、思慕なだけ。何度同じ間違いを繰り返す。

 

好きになるというのは、切なく苦しい思いがたくさんあるのだが、だんだん腹が立ってくる自分がいる。この世の中の情勢が一番気に食わない。どこにも出かけられない。

一番腹が立っているのは自分に対して。ムカつきすぎて推し輩ごと嫌いになりそうだ。

 

絶対そうなんだけど、たまの楽しみで出かけたいって言われて出かけるのを断られたのを私は根に持っているのだろう。会社の同僚なんて、来年にはいないかもしれないのに、何がたまの楽しみなんだか、馬鹿らしい。もう二度と来ないかもしれないのに。


このようなことで一喜一憂している自分が一番腹が立つのだ。