今から吐き出すのは、誰もがそう、とは言えない話。気持ちの整理。

ーーーーーーー

 

カリスマというのは年齢を追うことで自然に身につけられるものではないとふと思う。練習して習得するものでもないとも。

 

ただ、生まれ持ち育った環境によると割り切るととても悲しいものにも思える。

 

カリスマ性のある人はみな、自分にとても厳しい人が多いと思う。若輩者だが、見てきた人からするに、厳しい人がみなカリスマ性があるとは言えない。厳しさは必要条件であり、必要十分性は成立しない。

 

ではなぜ人を魅了するのだろう。

 

カリスマを辞書で引くと、『一部の人々が持つ、他の人々を引きつけ感銘を与える強力な個人の性質』と出てくる。

 

とにかく、インパクトがあり、心を奮わせるのだろう。

今までにあったカリスマには、怖い、すごい、緊張、そうかなるほど、どうしよう、やった、嬉しい、私がやらなきゃ

などの感情を持った。波乱万丈だ。洗脳状態と言われかねない。

 

説得力がないと人の心は奮えない。だからカリスマは知識と思考力を身につけている。ここに厳しい自己管理が必要なのだ。

 

そして、感情。論理的でないのにあの人は妙に説得力がある、と思うことがある。

論理的だけでは解決できないめんどくささがこの世にはある。

言い方とか、タイミングとか、確執とかである。感情的思考力というのは、相手に安心感を与えることができる。上記の感情はかなり揺さぶられているのだが、実は安心感があるのだ。恐怖や緊張も安心感の一部であり、中庸状態を保とうとする結果だ。どんな状態であれ、私はあなたをみている、あなたは私をみている、という関係に人は安心感を覚えるのだ。

 

あと目つき。目の形。声のトーン。笑い声の大きさ。反射のボスに団員が盲信するのはその部分が多いのでは?と勝手に思う。これは十分に効果があると思う。目は口以上に正直なので、そこをうまく使っているのだ。目つきが怖いのと怖くないとでは、影響する感情はことなる。そして大声で笑うのは威圧的で好きではないけど、効果はある。

 

つまり、魅力というのは論理的説得力と感情的煽動力と見た目で構成されているのだろうと結論する。

 

どれか一つでも欠けることはあってはならない。

 

そして、努力して習得できるのは説得力のみで、感情は成人してから訓練して身に付くものではない。見た目などはもはや論外。

 

したがって、カリスマは生まれと育ちに強く依存し、説得力が必要条件だと思うのだ。