こんにちわっしょい!

というわけで

昭和のコイン収集ブームのお話です。

 

 

コイン収集というものは日本では江戸時代にはすでにありましたが、

大名や旗本、商人などのごくごく一部の富裕層の趣味でした。

コイン収集が一般大衆の趣味として認知されたのは戦後の昭和なかばでした。

昭和33年頃、グリコがキャラメルのおまけとして古銭をつけました。

これが昭和最初のコイン収集ブームにつながります。

キャラメルに当たり券が入っており、それを10枚集めると

天保銭やコインカタログなどのおまけと交換できたようです。

初めの頃は本物の天保銭がおまけだったのですが、

天保銭の納入業者が本物だけでは納品量を賄いきれず、

贋物の天保銭、通称『グリコ天保』を作って納品、

それがおまけとして配られました。

子供たちを中心にコイン収集ブームが起きましたが、

数年でブームは終わりました。

 

 

グリコ発のブームが下火になった頃、第二のブームがやってきます。

その切っ掛けとなったのが

昭和39年の東京オリンピック記念の1000円銀貨発行です。

1500万枚発行の大型銀貨は人気になりました。

当初、2000円程度のプレミアム価格だったのが

昭和48年には20000円を超えるまでに高騰しました。

さながら投機のような状況でしたが、

昭和48年をピークにその年のうちあっさり暴落して

昭和50年頃には8000円~7000円程度にまで下がりその後も下がり続けました。

この頃、貨幣文化協会が『貨幣研究』という

外国コイン専門の季刊雑誌を発行しています。

雑誌自体はNo.8で発行が終わりましたが、

外国コイン収集の先駆けといってよい雑誌と思います。

 

 

昭和61年、昭和最後のコインブームがやってきます。

同年、天皇在位60年記念10万円金貨が発行されました。

戦後初めての金貨の発行であり発行枚数1000万枚でした。

バブル真っ只中ということ、大型の金貨ということもあり

これまた人気となりました。

ただ当時の地金価値として4万円程度の価値しかない10万円金貨の登場は、

平成2年の金貨大量偽造事件へと繋がっていきます。

平成2年1月29日、1000枚の偽造金貨が銀行に持ち込まれました。

最終的に約10万枚の偽造金貨が見つかりコイン業界は動揺します。

この事件の影響か年内には10万円金貨バブルは弾けました。

そして事件自体は未解決に終わります。

この事件から3年後の平成5年6月、外国コイン研究会ができます。

年2回『外国コイン研究』という冊子を発行し現在までその活動は続いています。

コイン収集が一般に認知される嚆矢となったのがグリコのおまけでした。

本格的なコイン収集ブームは東京オリンピック1000円銀貨の登場で始まります。

当時、投機的ともいえる値動きをした1000円銀貨ですが

やはり投機さながらに暴落を迎えました。

コイン収集も一過性のブームで終わりその後は下火となりました。

天皇在位60年記念10万円金貨は一時ブームのようになりましたが、

金貨大量偽造事件の影響か塩を掛けられたナメクジように金貨バブルは萎みました。

 

コイン収集の大衆化、ブーム化によって

それまで見られなかったような投機的様相をみせます。

しかし、所詮ブームはブーム、投機は投機です。

熱が冷めればコイン収集から離れていくのが普通です。

収集人口の減少もあいまってコイン価格は下落していきました。

 

現在の高騰が一過性のブーム、投機的動きによるものと

過去を振り返れば思えてくる方もいるかもです。

日本以外の海外でも過去にさかのぼればコイン価格の高騰と暴落は起こっています。

過去20数年間、コインは暴落していないが売り文句のコイン商もいますが、

過去30年なら過去40年ならどうでしょう?

 

 

それでは次回会うその日までさよなら