小澤征爾さんが亡くなった。

僕がたぶん中学校の頃か、名古屋で小澤さんの指揮を初めて見に行ったことがある(聴きにというより見に行った)。その頃の小澤さんはタートルネックに白のスタンドカラーシャツというスタイルで指揮台に立っていた。驚いたのは会場に来る男性客の三分の一くらいが同じような格好をしていたこと。どうみても全員が指揮者というわけではなさそう。つまり小澤さんはクラシックの指揮者でありながら一般人にファッションにまで受け入れられる存在だったということだ。こんな指揮者は後にも先にもいない。まるでアイドルだ。

初めて見た小澤さんの指揮は衝撃的だった。それまで「指揮者は拍を振ることが大事なのかな?」と漠然と思っていたが、後ろ姿からでもわかるくらい今何を表現していてどんな音がほしいのかはっきりしていたことに驚いた。なるほど、こんな指揮もあるんだ。

当時は今みたいにYouTubeとかなかったので小澤さんの指揮ぶりは印象でしかなかったが、この人に指揮を習ってみたいという気持ちが芽生えたのはこの時だった。当時桐朋の音大に行けば習えることはわかったが、入学金がバカ高すぎてうちの家庭には経済的に無理だった。それでも芸大入学後小澤さんのリハーサルなんかにはツテを頼って潜り込んでその動きがどうなっているか観察したりしていた。

そんな感じで決して接点が多くない小澤さんだが、一度だけ話したことがある。僕がベルリンに留学時代、ベルリンフィルの定期公演を小澤征爾さんが指揮した時チケット買って見に行ったことがある。バルトークの「弦楽器とチェレスタと打楽器のための音楽」がメインだった。そこで事件が起きた。

いつもパーフェクト(好みは分かれても技術的に)なベルリンフィルが1箇所崩壊したのだった。僕はこの曲で大学祭で指揮デビューしたので結構よく知っていたが、原因は小澤さんの振り間違え。演奏会後どうやって入ったか覚えてないが、とにかく小澤さんのお弟子さん達と一緒に楽屋に入った。小澤さんは「お前ら、俺のミスを見にきただろ」と苦笑い。その後皆んなについて小澤さんとそのお弟子さんの飲み会になぜか僕もついて行くことに。そこで初めて小澤さんは知らない僕が座っていることを認識した。

「君は?」
「上垣と言います。今コミッシュオーパーでトロンボーンで仕事しながらベルリン音大の指揮科で勉強してます」
そこで小澤さんが明らかに興味を持った表情に変わったのを見逃さずこう言った。

「小澤さんについて勉強したいんですが、どうすればいいですか?」
「タングルウッドに来なさい」

これはチャンス?その後タングルウッド夏期講習の申し込みをして返事を待った。しかし僕の送ったVTRに興味を持ったのは小澤さんではなくアメリカ人の指揮者だった。彼は「僕が面倒を見るからタングルウッドに来なさい」という趣旨の手紙をくれた。

ここが僕の人生のいくつかあったターニングポイントだった。僕は「えー、小澤さんじゃなかったら行く意味ないじゃん」とそのオファーを蹴ってしまった。今考えたら本当に馬鹿なことをしたもんだと思う。行けばいろんなことが起きているはずだし小澤さんとの接点もできたはず。そこに考えが全く及ばなかったわけだ。

結局僕と小澤さんの接点はそれだけ。もしタングルウッドに行ってればミュージカルはやってないし、今日本に住んでるかどうかも怪しい。

人生の分岐点はよく熟考すべき!

小澤征爾さんが亡くなってこれでいよいよ僕との接点は作れないことになったのはちょっと残念。

ご冥福をお祈りします。