「生オケかCDか」という話をすると必ず出る話。オーケストラの音ミス問題。何となく裏の裏的な話だし、書こうかどうかかなり迷ったけど生オケの話をする限りたぶん避けられないので思い切って書いてみようと思う。このシリーズの最後の話だ。


今までこのテーマはいろんなところで度々耳にしてきた。楽器だけに限らず我々指揮にも「振り間違え」というミスもある。最初に結論から言うと「ミスしない方がいい」に決まっている。高いチケット代(ホントにお客様には感謝しかありません)。その何パーがオケに支払われるか言うのはやめるが、お金を払ってるのに音が外れるのなんか聞きたくないっ!というのはその通りだ。でも「中学生でもはずさない音をはずしてる」というのは少々言い過ぎかも。中学生のオケやバンドでミュージカルをひと舞台分演奏したらおそらく最後には音すら出なくなるだろう。

ミスをしない人は世の中にいない。あのイチローですら最高打率4割くらいしか打てなかった。でも皆さんが気になるのはやはり大音量でハズれるトランペットだろう。他の楽器は目立たないだけだ。もっと言えば舞台上の歌も失敗することがあるが、それもほぼ気づかないうちに終わることが多い。



ミスにはふたつのパターンがある。ひとつはボーッとしていて「あちゃー」と間違えるパターン。もうひとつはちゃんと集中していてもフィジカルな理由で起きるミス。どうしても気になってしまうトランペットのミスは後者だ。

これから書くことは言い訳ではないし、それによってミスも仕方ないでしょ?という話をするつもりもない。ただ「ミスにもそんな理由があるんだなぁ」と思ってもらえばそれでいい。だってミスに苛立つ前に「なんで音がはずれるの?」って単純に思いませんか?思わない方はここから先は読まなくてもいいかも。結局言い訳じゃん!と思うはずだから。でも決して言い訳を書いているわけではなく、なるべく客観的に事実を書いてみようと思う。




例えば跳び箱で考えてみよう。あなたは練習を重ねて8段飛べるようになったとする。よし、これで次回の跳び箱の試験はバッチリだな!ところが試験当日、驚いたことにひとつの跳び箱を越えるのではなく3つの跳び箱を連続して飛ぶ試験だった。1台目が3段、 2台目が4段、最後が6段。障害物競走みたいに走りながら3つの跳び箱を越えるのだ。でもあなたには自信がある。なんせ8段を一発クリアできるからだ。そしてあなたの番。走り出して1台目は難なくクリア。跳び箱の間の走る距離は約30mくらいか?でもあなたは走るのも得意なので大丈夫、軽く2台目の4段をクリア…あれ?ちょっと息が…脚には乳酸も溜まってきた。でも飛べるはず!自分を信じて…えいっ!あなたの踏み切った脚が思いのほか低くしか上がらず、しかも跳び箱の端に引っかかって派手に転倒!!

これがトランペットの音をはずす仕組みだ。金管はみんなそうだが、口の周りにある口輪筋という筋肉で息の角度や細さをコントロールして高い音を出す。筋肉なので他の筋肉同様、長時間使うと乳酸が溜まってくる。しかし高い、それも特別高い音に飛ぶので思い切っていくしかない。思い切っていくのでド派手な転倒シーンになることがあるわけだ。どのくらい派手に転ぶかはその段数とそれまでの1台目2台目の段数による。ちなみに『エリザベート』のカーテンコールの最後、3曲あるがどれも高い「ダブルハイE♭」の音で終わる。これを延々と高い音域のメロディーを吹いた後、最後の最後に3回吹かなければならない。なんなら本編には「ダブルハイF」の伸ばしも出てくる。『踊るとき』前の高ーい音だ!トランペットを吹いたことのある人はわかると思うが、通常ではかすりもしない音だ。跳び箱で言えば18段とか20段。筋肉番付の人たちが飛ぶ高さである。おそらくだが作曲したときリーヴァイさんの周りにかなり上手いトランペッターがいたのだと思う。じゃなきゃこんな音普通書かない。


さて録音の場合。昔は機械の性能が悪かったので「せーのー」で一発録りしていた。その頃の録音をよく聞くとあちこちでミスがあることがわかる。今はデジタル録音になり、とりあえず全体を録ってからソロパートや高い音だけを後録りすることもある。そして少々の音程はコンピュータで簡単に直せる。CDはほぼそうやって作られている。難しいところは他のみんなを帰してからコンディションを整えじっくり録るわけだ。確かにミスはなくなるが音楽の流れがなくなるため、かの指揮者バーンスタインなんかは一発録りにこだわっていたようだ。そのかわりやはりそこかしこにミスがある。それよりも音楽の流れを大事にするのはバーンスタインらしい。

じゃあついでに外国、例えばブロードウェイはどうなのか?簡単に言うとやはりミスはある。僕が聴きに行ったときも誰もが気づくようなミスがあった。ただ金管については白人の場合、顔の骨格がすでに金管の演奏に適していて、口輪筋を鍛えなくても構えただけで音が出るし、したがって筋肉がバテることも少ない、ということはこうしたミスも起きにくい。これはトロンボーンを僕が吹いていた頃、彼らと一緒に仕事をしたときの実際の印象だ。結局金管楽器というのは彼らが作っただけあって彼らの骨格に適している。逆に言ってみれば白人のお嬢さんの着物姿がなんとなくしっくりこないのと同じだ。


ただブロードウェイでは結構なミスをしてもそのミスが会場に響き渡ることにはなりにくい。なぜか?その原因は音響にある。日本のミュージカル でミスが特別目立つのは音響の音の作り方にある気がする。例えばマイクを通していない生のオーケストラのなかでそうしたミスがあっても、周りのオケの音に消されてそれほど目立つことはない。しかし日本の劇場ではどちらかというと各楽器の音のピックアップが強くCD寄りの音作りに近い。それが悪いとかではなく作り手の趣味の問題だと思う。アメリカから来た音響チーフとこのことについて話したことがあるが彼は面白いことを言っていた。

「僕らアメリカでは音響を目指す人のほとんどが音楽家を目指していた。だから生のオーケストラの音をどうやって劇場で再現するかが一番気になるんだ」

なるほどね。そういうことか!とすごく納得した。ブロードウェイのオケは狭いピットに閉じ込められてるのにまるで舞台上にいるかのように聞こえるんですよ。その謎が解けた。CDよりもはるか先に彼らは生楽器に触れ、生の演奏を身近に聴いているのだ。だから耳もそんな音を自然と要求してしまうわけ。



この他にもアレンジ的な問題やら何やらたくさんの理由がある。まあどこまでいってもエクスキューズにはならないと思うし、無理ならその仕事を断る権利はプレイヤーにも指揮者にもあるのだ。でもそれをやると決めて受けた以上責任があるわけで、みんな必死だ。役者より早く劇場に入り、コンディションを整えている金管奏者をよく目にする。

しかし!だからどうこうというつもりはない。やはりミスは少ない方がいい。でもミスってしまった本人が楽器を弾けなくなるくらい精神的に追い詰められるのも僕は見てきた。だから上手くいった時は少しだけ彼らの健闘を称えてもらえるとありがたいと思う。