2024年5月13日(きのこの山・たけのこの里) | 決定力不足でゴメンナサイ。

2024年5月13日(きのこの山・たけのこの里)

「きのこの山・たけのこの里」が森林保全って、最高だ!💪

そう言えば、「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙」あったねぇ!😊

2020年のコロナあったか分からないけど・・・懐かしいなぁ。

俺は「きのこの山」だったけど、妻は「たけのこの里」ダヨネ😓

「きのこの山」は1975年から。
「たけのこの里」は1979年から。

2016年。国民の祝日とされた8月11日に「きのこの山の日」として制定。

2017年。国民の祝日とされた3月10日に「たけのこの里の日」として制定。」

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しかし、1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)は「すぎのこ村」があったのは知らないか?

森永の「小枝」みたいなもので、棒の部分はビスケットであり、アーモンドがぎっしり詰まったミルクチョコレート。

「きのこの山・たけのこの里」よりも「すぎのこ村」はぎっしりのために、あまり良くなかったは覚えている。

なんか少し高かったような感じ。

俺は、村って・・・「市町村」はヤバいよね😥

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「きのこの山・たけのこの里」森林保全、本格スタート 明治HD、岐阜県、関市が看板除幕式
2024.5.13
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/385261

 明治ホールディングス(東京都)と岐阜県、関市などは11日、同市武芸川町谷口寺尾の寺尾ケ原千本桜公園で、森林保全活動を進めている「きのこの山・たけのこの里の森~明治グループ自然保全区」の看板除幕式を行った。同社のチョコレート菓子のパッケージをイメージした看板2つを設置し、森林保全活動を本格的にスタートさせた。

 同社などは昨年7月、県が推進する「企業との協働による森林づくり」に関する協定を締結。「きのこの山・たけのこの里の森」と名付けた公園近くの15ヘクタールの森林で、サクラやコナラなどの広葉樹を植樹するほか、歩道整備を行い地域交流活動を進める。

 除幕式には、同社の古田純専務執行役員や山下清司関市長、久松一男県林政部長、森を管理する財産区管理会の代表者ら約30人が出席。古田専務執行役員は「弊社のベストスラー商品のように、長く親しんでもらえる場所にしたい」とあいさつ。山下市長は「森林整備は水資源の保護にもつながる。この場所が、人々の憩いの場となることにも期待したい」と話した。

 その後、出席者らはコナラを記念植樹し、自然保全区にサクラ40本を植樹した。秋には110本のサクラを植樹する予定。

(岐阜新聞社)

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きのこ♪たけのこ♪すぎのこ? 明治「すぎのこ村」の数奇な運命とは
2015.12.1
https://withnews.jp/article/f0151201001qq000000000000000W00o0201qq000012781A

 国民的お菓子「きのこの山」「たけのこの里」。それぞれの固定ファン同士が、どちらがおいしいかをめぐって論争を繰り広げてきましたが、もうひとつ忘れてはならない商品があります その名は「すぎのこ村」。一時期、三国志さながらに争いながらも消えていった幻のお菓子です。いったん表舞台から去った後に復刻したり、名前を変えて新商品として生まれ変わったり……。その数奇な運命について、明治に聞きました。

【1987年に発売】

「すぎのこ村」が発売されたのは1987年。1975年の「きのこの山」、1979年の「たけのこの里」に続く商品として世に出ました。さくさくビスケットに、クラッシュアーモンドとミルクチョコをコーティングした「杉の木」をイメージしたお菓子です。

 発売から1年ほどでパッケージを変更し、軸のビスケット部分もココア味に。その後、1990年代初頭まで販売されていたようです。

【消えた理由は】

 消えた理由について、ネット上では「きのこ・たけのこはモチーフが食べ物だが、すぎのこは違う」「きのこ・たけのこ戦争の戦火に巻き込まれて村が消滅した」といった説が上がっています。

 実際の理由とは? 明治によると「一時は大ヒットしたのですが、きのこ、たけのこに比べて出荷が減少したため、ラインナップから消えました」とのことでした。

(withnews)

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