埼玉の実家に向かう途中にバッチの障害アラートが(ー ー;)

Skypeで話して、同僚が対応してくれて解決(^o^)

とりあえず床屋へ行きました。眉毛剃りすぎたかも(´・_・`)

2年ぶりに車を運転。脱ペーパードライバーしたい。

父親と一緒にゴルフの打ちっ放しへ! 父の日はたまたま。

実家の自分の部屋のPCを2年ぶりに起動した。

いまからちょうど2年前、渡米したのでした。あっという間。

SteamにCompany of Heroes2の体験版が!

とりあえずダウンロードせよとの心の声が\(^o^)/

でちょっと時間空いたのでにーよんろぐを試してみてるなう

家族で焼肉食べにきた

ファミリーライス(790円)でかいな。。4合ぐらいある

姪っ子がかわいい

またバッチのエラー。今日は多いな(-_-)

なんもできなくてすみません

大量に溜まってたWindowsUpdateが終わらない>_<

昨日知り合った人にメールするか迷う。。。

ちょっとだけゲームやろうっと

残ってた「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」の最後の章を読もう。

ランニング行ってくる! 今日も3km。

3kmは全く苦じゃなくなってきた!

明日6時に起きるにはそろそろ寝ないと・・・

爆笑問題カーボーイのポッドキャスト久しぶりに聞いてる

なんか心の整理がついてすっきりした。明日からも頑張ろー!

前半は途中から書いたので時間は適当。タイムスタンプ編集できないのかな? よい休日でした。ありがとう。

にーよんろぐからの投稿

米国サンフランシスコでの勤務をいったん終え、日本に戻ってきました。いま考えていることを書きたいと思います。

■サンフランシスコで働いてみて

米国の就労ビザを取ったのが2011年6月9日で、渡米したのが2011年6月19日でした。そこから途中5日間日本に休暇のため戻ってきた以外は2012年6月までずっと米国サンフランシスコで勤務し、一度日本に戻って2012年7月から11月まで日本勤務。再び11月中旬に渡米して12月12日に戻ってきました。実質約1年2ヶ月程度の米国勤務でした。

米国、とりわけサンフランシスコという世界的なIT系企業の集結している地域で働かせてもらったことは、言葉では言い尽くせないくらいの経験になりました。それも単なる出張ではなく、自分でアパートの契約をし、電気やインターネットを引き、必要な物資を調達して実際に1人で暮らすという生活者としての経験は、日本にいてはできない経験でした。

米国でビジネス的に成功できたかという第一の目標からすると不十分でした。それなりのユーザー数や売上に貢献する事業に関わることはできたものの、結果として1年2ヶ月で帰ってきたという事実からも分かるとおり、十分な黒字を達成するには至らず、会社として高いコストを払ってまで私を海外に駐在させ続ける理由が薄くなってしまったというのが実際のところです。

「シリコンバレーに行けば何かある」「まず世界へ出ていこう」といった話はよく聞きます。それを否定する人もいます。だけど実際どうなのか?という問いに自分が納得する答えを得るためには、自分で経験してみるしかないと思います。

私が1年ちょっとサンフランシスコに住んだことで世界の何が分かったのか?というと、ほとんど分かってないと思います。だけど、ある程度の期間暮らすことで初めて見えてくるリアリティというのは確かにありました。

自己満足的な感想ですが、1つ強く感じていることは、人生で絶対にいつかやりたいと思っていた「海外生活・海外勤務」というものを実際にやれたという充足感でいっぱいで、今後、人生を送るうえでこれ以外の夢により集中できるだろうなということです。ひとつの夢を叶えるってこういうことなんだとあらためて思いました。

■今後について

サイバーエージェントのグループ会社である株式会社AMoAdでインフラエンジニアとして働きます。AMoAdはDeNAとサイバーエージェントの合弁のスマートフォン向けアドネットワークの専業会社です。

これまで7月から11月の間に日本に一時的に戻っていた間も実質的にはAMoAdで働いていたので、今回の話もその延長線上にあります。

これまでのキャリアでずっとゲームやコミュニティのB2Cサービスを仕事としてきていたため、アドネットワークという違う業界に入っていくことには最初は少し抵抗がありました。ただ今、アドネットワークという分野がテクノロジー的に非常に面白いステージにあることや、ソーシャルゲームやコミュニティサービスのプロモーションを手がける事業という点でいままでの分野に違った視点で関わっていけるということ、AMoAdという会社の雰囲気やメンバーがとても良く、ここで充実した仕事ができそうという確信を持てたため、長く迷うことなく決断しました。

エンジニアのキャリア的には今後もサーバーサイドに強みをもったエンジニアとして、特にDevOpsといわれる開発・運用両方にまたがるエンジニアとしての方向性を深めていきたいと思っています。そういう意味ではAMoAdで求められる、大量のトラフィックへの対応、絶対に配信を止めてはいけないという厳しいサービス条件、広告配信という特性から来るレスポンスタイム等のパフォーマンス要件、配信最適化のための高度なアルゴリズムなど、挑戦しがいのある課題はいっぱい詰まっています。

最後になりましたが、かけがえのないチャンスを与えてくれ、勤務中も精一杯サポートしてくれたCyberAgentAmericaとサイバーエージェントの本社のみなさまには感謝してもしきれません。この想いを胸に明日からも、サイバーエージェント、もとより日本の社会によりいっそう貢献できるよう、1社会人として、1エンジニアとして精一杯コミットしていきたいと思います。本当にありがとうございました。
7月からG3という職位になり、マネージャーというポジションになりました。メンバーの数はまだ多くありませんが、具体的な職格を与えられたことで、自分に組織に対して何ができるのか、個々のメンバーに対して何をしてあげられるのかに悩む日々を送っています。

ちょうど昨日、マネージャー研修というものがあり、マネジメントについて深く考えるきっかけになりました。
そこで、たまには気分を変えて、ずっとアカウントだけあって放置していたアメブロで書いてみたいと思います。

私はこれまでマネジメント寄りのキャリアを送ってきました。年はけっこういっているのに社会人経験はまだ6年程度ですが、取締役も経験したり、エンジニアのマネージャーぽいものもやってきたりと、肩書きだけはそれ系のものをやってきたと思います。ただ体系だったものは何も持っていなかったので、正直これまではよくわかないままそのポストで仕事をしていました。「いるメンバーでなんとかするしかない。どうしようもなくなったら自分でやる」的な仕事のやり方をしてきました。

サイバーエージェントに入ってからは、折にふれてマネジメントとはと考えさせられる機会が増えました。
職歴がまったく違う人が集まったチーム、外国人を含めたチーム、日米で離れた場所で勤務しているメンバー、短期間で結果を出すことを求められるチーム、一つの組織の中でさまざまなプロジェクトが走っている状況、子会社のメンバー同士で混成チームを作った場合など、さまざまな状況に直面して、どうマネジメントするかが成果に大きな影響を及ぼすと考えるようになりました。

多くの先輩の例に漏れず、私も「マネジメントかスペシャリストか」という2択のジレンマに悩むときがあります。もちろん両立できれば一番いいのですが、エンジニアのスペシャリストとしてとにかく集中してコーディングしたりサーバー運用し続けたいと思うこともよくあります。つまりアスリートみたいなもので、走り続けられる限りは全力で作り続けたいのです。

「エンジニアとして使えないからマネージャになったのだ」という不安がぬぐえず、以前よりはるかにプログラムやサーバーのことについて勉強しています。というより死ぬほど勉強しないと会社の皆のレベルについていけないというのが実際のところです・・・自分のレベルが低すぎなのかもしれませんが、ただのノリで採用されてきているだけなのに持ち上げてもらっているので、もっと頑張らねばと気を引き締める日々です。

いまのところはエンジニアとしての仕事を取り上げられるということはなく、むしろ両方やってねという感じなので、むしろありがたいと思っています。

ともあれ、入社後約1年でマネージャー職という具体的なミッションを与えられることになりました。
マネージャーになってからは、西條さんや曽山さんと話したり、各種研修を受けたり、実際にメンバーと面談したりといった経験をする中で多くのことを勉強させてもらっています。

なんかアメブロで皆いいこと書いてるけど実際はどうなんだろなって入社前は思うこともありましたが、入社してみると思った以上にいい会社だなと思ったというのが正直な感想です。少なくとも人事については、この規模の組織としてはこれ以上ないくらいよく考えられていて、ケアされているなと思います。

いまは自分自身がどれくらいマネージャーの仕事ができているかでいうと、10%以下だと思います。ただ問題意識だけは日々高まってきています。具体的に成果につなげていけるか、これから半年間がまさに正念場です。

サイバーエージェントに雇ってもらえている間にできるだけ多くのことを吸収し、成長したいと思います。 そして自分のほうからも会社にできるだけ多くの利益を戻せるよう頑張りたいと思います。