米国サンフランシスコでの勤務をいったん終え、日本に戻ってきました。いま考えていることを書きたいと思います。

■サンフランシスコで働いてみて

米国の就労ビザを取ったのが2011年6月9日で、渡米したのが2011年6月19日でした。そこから途中5日間日本に休暇のため戻ってきた以外は2012年6月までずっと米国サンフランシスコで勤務し、一度日本に戻って2012年7月から11月まで日本勤務。再び11月中旬に渡米して12月12日に戻ってきました。実質約1年2ヶ月程度の米国勤務でした。

米国、とりわけサンフランシスコという世界的なIT系企業の集結している地域で働かせてもらったことは、言葉では言い尽くせないくらいの経験になりました。それも単なる出張ではなく、自分でアパートの契約をし、電気やインターネットを引き、必要な物資を調達して実際に1人で暮らすという生活者としての経験は、日本にいてはできない経験でした。

米国でビジネス的に成功できたかという第一の目標からすると不十分でした。それなりのユーザー数や売上に貢献する事業に関わることはできたものの、結果として1年2ヶ月で帰ってきたという事実からも分かるとおり、十分な黒字を達成するには至らず、会社として高いコストを払ってまで私を海外に駐在させ続ける理由が薄くなってしまったというのが実際のところです。

「シリコンバレーに行けば何かある」「まず世界へ出ていこう」といった話はよく聞きます。それを否定する人もいます。だけど実際どうなのか?という問いに自分が納得する答えを得るためには、自分で経験してみるしかないと思います。

私が1年ちょっとサンフランシスコに住んだことで世界の何が分かったのか?というと、ほとんど分かってないと思います。だけど、ある程度の期間暮らすことで初めて見えてくるリアリティというのは確かにありました。

自己満足的な感想ですが、1つ強く感じていることは、人生で絶対にいつかやりたいと思っていた「海外生活・海外勤務」というものを実際にやれたという充足感でいっぱいで、今後、人生を送るうえでこれ以外の夢により集中できるだろうなということです。ひとつの夢を叶えるってこういうことなんだとあらためて思いました。

■今後について

サイバーエージェントのグループ会社である株式会社AMoAdでインフラエンジニアとして働きます。AMoAdはDeNAとサイバーエージェントの合弁のスマートフォン向けアドネットワークの専業会社です。

これまで7月から11月の間に日本に一時的に戻っていた間も実質的にはAMoAdで働いていたので、今回の話もその延長線上にあります。

これまでのキャリアでずっとゲームやコミュニティのB2Cサービスを仕事としてきていたため、アドネットワークという違う業界に入っていくことには最初は少し抵抗がありました。ただ今、アドネットワークという分野がテクノロジー的に非常に面白いステージにあることや、ソーシャルゲームやコミュニティサービスのプロモーションを手がける事業という点でいままでの分野に違った視点で関わっていけるということ、AMoAdという会社の雰囲気やメンバーがとても良く、ここで充実した仕事ができそうという確信を持てたため、長く迷うことなく決断しました。

エンジニアのキャリア的には今後もサーバーサイドに強みをもったエンジニアとして、特にDevOpsといわれる開発・運用両方にまたがるエンジニアとしての方向性を深めていきたいと思っています。そういう意味ではAMoAdで求められる、大量のトラフィックへの対応、絶対に配信を止めてはいけないという厳しいサービス条件、広告配信という特性から来るレスポンスタイム等のパフォーマンス要件、配信最適化のための高度なアルゴリズムなど、挑戦しがいのある課題はいっぱい詰まっています。

最後になりましたが、かけがえのないチャンスを与えてくれ、勤務中も精一杯サポートしてくれたCyberAgentAmericaとサイバーエージェントの本社のみなさまには感謝してもしきれません。この想いを胸に明日からも、サイバーエージェント、もとより日本の社会によりいっそう貢献できるよう、1社会人として、1エンジニアとして精一杯コミットしていきたいと思います。本当にありがとうございました。