もしも
「今日と言う日は どんな日だった?」
と聞かれたら
あなたはなんて答えますか?
と 言うよりも
衝撃の多い 印象に残ったことを言う
のが「当然」かもしれないですね☆
「こころ」だから
「思いたくなくても」 それを思ってしまう
良いことがあれば 素直に良いことを思い出す
悪いことがあれば 悪かったといらいらしてしまうかもしれない
「当然でしょ?」
って 思う?
昔 ばんばひろふみさんの「SACHIKO]という歌がありましたが
幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない
本当にそういう現実だったのだと思う
けれど 「今の時代」や「違う視点」で感じたら
「そのこころでいるからこそ」
「そうなってしまう」
不幸せを数える必要はなく
幸せもまた そうかと思う
「数じゃない」
「常にどちらのこころの中にいるか」
むしろ 数えるから
余計に硬まる
嫌なこと いわゆる 「不幸せ」
数えて 「多ければ」
「そこに繋がってるからこそ」
不幸せが増える
楽しいこと いわゆる 「幸せ」
数えて 「少ない」と
「そうでしか思えないからこそ」
幸せが減る
たとえ 100
つらいことがあっても
ほんの1つ 0.5
しかない うれしいことだったとしても
「あなたのこころがどこに向いているか」
「こころがどちらを感じられるか」
ただ それだけで
「今 全く同じ点から」
「そのこころのベクトルに進む」
うれしいことなんて何も無い と思ってる人は
傲慢だと思う
勿論 世の中には本当にそういう人もいるとは思う
けれど
「ほんとうにうれしいことなんて無かった?」
単純に 「感謝を忘れてる」
「当たり前だと思ってる」
息ができること
布団で眠れること
トイレもお風呂もあること
家があること
たとえば どれをとっても 実は
「当たり前じゃない」
こと 身体の機能は もっとも そうだと思う
なぜ 身体は動いてくれてるの?
そうしてひとつひとつを感じたら
物事的にうれしいこと とかがたとえ今日
なかったとしても
「全てが感謝の中で動いている」
そして物事的にないように思えても
実際には「きづかないだけ」で
いやなことがあっても
そんなところにこころを向けず
「感謝のこころに向けること」で
実は現実的にも しあわせが増える だけ
たとえ いやなことが起こっても
それは全て
「きづき」だから
「いやなことと捉えない」
そうしていったら
不幸せは無くなる
幸せに溢れてくる
「不幸せ」と思えば思うほど
不幸せが増えるだけ
「幸せ」と思えば思うほど
幸せが増えるだけ
きづいたら
いつでも こころが そこにいる
今日もありがとう
今日を
ありがとう








