5月9日水曜日

今日もいい天気だ

ちょっと暑くなりそうだ

 

旅は3日目になっている

ぼちぼちペース配分もうまくできるようになるだろう

 

とはいうものの

平均して1日200㎞以上の移動が必要だ

 

ある時はちょっと無理をして進んでおいて

疲れが出れば

少し歩を緩める

そうすることが重要だが

まだ今は、それどころではない

 

今日の当初の予定では

会津の飯盛山とサザエ堂

を観光し早い目に宿を探し

ゆっくりとしてもいいな

と思っていた

 

昨夜

今日の予定を決めた

大内宿というところに行きたい

 

難しくはない

少し南から会津西街道に入ればよい

 

sとは時間的な問題だけなので

大丈夫だろうと

午前8時30分定刻発

わははははは

 

今日も高速を利用する

とりあえず東北の端っこにたどり着くまでは

高速道路をうまく利用して

少しでも早く到着するようにしようと考えている

昼前に到着した

 

おそらく昼食のころに到着するだろうから

途中で名物の案内をした

 

大内宿は

そばが有名で

その食べ方も特徴があり

ねぎを箸の代わりにして

その箸で食べると同時に

薬味も食べられる

わはははははは

 

あまり興味はなさそうだった

 

駐車場で二人を下ろした

 

とりあえず一番奥まで行って

小高い神社のようなところがあるから

そこから見ると

宿場の様子が一望できると案内した

 

彼女たちの様子では

昼食は車内になりそうだったので

Nさんが持参していた自然薯をすりおろし

アツアツのみそ汁と卵で伸ばし

とろろご飯とみそ汁の昼食をしつらえた

 

以外に早く帰ってきた

 

神社に上らずとも

よく見えた

ということでした

 

それはよかったです

とりあえず昼食を済ませましょう

 

昼食後は

あまり休憩はせずに

会津へ行きましょう

 

若松城や猪苗代湖は

すでに彼女たちは訪問している

 

ので今回は

サザエ堂と

白虎隊の墓がある飯盛山

観光にした

 

先月

会津藩の初代藩主

保科正之ゆかりの

信州高頭城址の桜を見た

満開だった

城址公園の奥ある

江戸城大奥の女中頭の絵島を巡る大騒動

「絵島の囲み屋敷」が有名だ

 

その近くに名君「保科正之の像」が立っていたような記憶がある

二代目将軍の手掛けの子

正妻に見つからぬように

高遠に預け

保科を名乗らせた

 

この子が偉かった

やがて会津の初代藩主となった

名君だったという

 

国を思い

松平の子として自分の出生について恨むことなく

徳川に仕えたという

 

とてもまねはできない

 

会津は

江戸から明治への時代の渦の中でほんろうされ

ある時は朝廷の守護職を命じられ命を懸けて都を守り

 

薩長連合の都合でなのか

いつの間にか朝敵とされ

 

会津戦争により飯盛山に散ったとかいう

どうも戊辰戦争というのがよくわからない

 

飯盛山

若き侍たちを祀る

 

満開だった高遠の桜を思うと

わびしくなる

 

それはともかく

さざえ堂

登るのと下るのが

別のらせん上のスロープ通路になり

双方が鉢合わせることがない

不思議な感覚を覚える

 

さざえ堂を出て

少しだけ上っていただけば

もうすぐそこに

白虎隊の隊士の墓が祀られています

と案内し

頑張って歩を進めてもらう

 

外国の団体観光客らしい

案内の

若き隊士が

祈りを込めて舞う

 

というような観光を済ませ

 

ふらふらになってきつつある

姉たちに

 

今日のお宿は

道の駅喜多の郷

すぐ近くですよ

温泉も併設されている

 

と激励しながら

坂を下る

 

買い物を済ませ

到着したのが午後4時ころ

 

温泉は道の駅の敷地内にある

午後5時になると

500円のところが300円になる

まだ日は高い

1時間あまり

付近を散策してもらい時間をつぶす

 

これが良かった

 

近くの三ノ倉の菜の花畑が

ちょうど満開で見ごろだと情報を仕入れた

明日の朝一番に尋ねよう

 

この日も無事に

行程を終えた

 

本日の走行距離220㎞

やはり200㎞を越えてしまった

 

お疲れさまでした