私は数年前に結婚した。
結婚したといっても私の名前だから(夫が苗字を変えた)
私は「嫁」ではないと思っている。
家族付き合いをしてもよかったのだが、夫の母親に2回目に会ったとき
「夫に浮気されたのーーー!!!」
と言われ、何かヤバさを察知した。
※ 私の夫の父親のことで、20年前に離婚している。
その後「息子(私の夫)が心配で心配でしょうがないから、電話番号教えて。」
と言われたので「心配なら、息子(私の夫)に直接電話してください。」と答えた。
その後パールのネックレスを送ってきて「友達の結婚式に使って。」と言われたのだが、「友達は皆結婚しているので、結婚式に行く予定がない。」とお返しした。
私と連絡をとりたいなら、そう言えばいいだけなのに。
夫の子どもの頃の写真を見ていると、B型で本来明るくてひょうきんな気質なのに、ある時期を境にそれがなくなった。
心を閉ざすしかない子どもの頃の夫の苦しみが、私には伝わりなんとなく心情を理解できた。
しかし夫の母親は本気でそれがわからない様子で、私は驚いた。
彼女も看護師なのに、子どもの観察はしないようだ。
息子に愛情をもって育ててないくせに
「息子が不憫で…」なんて言う。
お前が育てないからだろ、とつっこみたくなる。
そしてなぜそうしたのか?答えるまで執拗に質問したくなる私。
どの口がいいよるんか?!と、腹が立った。
はらわたが煮えくりかえるとか、胸糞悪いというくらい。
虐待は許せないというか、許しちゃだめだ。
許さないことも愛だし、責任だと私は思う。
夫の様子を見ていると(人間は子どもの頃に親を取り込んでしまうので)、このおばさん(夫の母親)は被害者意識を使い、巧みに人を操って生きていたことがうかがえる。
夫の中にある「母親の悪しき影響」は、現時点では全て取り除けてはいないが、かなり修正はできたのではないかと思う。
この人(夫の母親)は頭がおかしいと思い、そのまま関わることもなく時は過ぎた。
その選択は間違っていなかった。
もし付き合いをしていれば、甘えたり依存してくるタイプだと思う。
私も夫も第一子で、長男・長女。
九州の田舎では大した資産もないし素晴らしい家柄でないにもかかわらず、まだまだ「長男が家を継ぐ」意識が根強い。
何もないのに一体何を継ぐのだろうか?
夫と親の介護について話し合ったとき、母親は「将来は子どもに迷惑はかけたくない」との希望があるようなので、その意思を尊重して要望や金を要求してきた時点で考えようということにした。
意思表示もしないで金や関心を引き出そうとするのは卑怯だし、相手の成長にもならないから、というのが私の意見。
夫もそれに同意。
二人とも看護師だし夫の母親も看護師なので「自立を促す」のが大事よね。
というちょっと無理のある意見を正当化している。
未熟な親の影響を一番受けるのは、だいたいが第一子。
それなのに死ぬまで面倒みろなんて厚かましい。
一般庶民の家庭の末っ子は親にかわいがられて、上の兄弟達の世話も受けている。
普通に考えて、末っ子が親の面倒をみるのが筋ではないか?
普通に考えては語弊があるから、労力やエネルギー的に考えて。
バランスをとるにはそれが一番適切なのではないか?
親や子どもが病気がちとか障害があるとか、事情があるなら別の方法を考えなくちゃいけないけど、ここでは一般の中の下くらいの家庭の健康な私達の場合の話。
結婚といっても、ほとんど同棲。
結婚式はしていないし。
家具や家電も新しく買わず、お互いの独身時代のものをそのまま使用。
家電は夫が社会人になったときに買った、2008年製のものを今では二人で愛用(笑)
シングル用の洗濯機、冷蔵庫。
壊れたり不具合もなく、彼らは今でも現役だ!
ある意味彼らも家族である。
しっかり働いてくれるし、私は愛着も感じてるので、まだまだ長生きしてほしい。
家は私のアパートにそのまま引っ越してきたし。
本当に全てがそのままで、夫のアパート代がないので結婚することで安くなった。
子どももつくらないし、車を買い替えたり家を買う予定もない。
コロナのおかげで海外旅行欲も止まった。今は国内が好き。
二人とも友達がいないので交際費もかからない。
外食もしないし、たばこも酒もギャンブルもやらない。
※九州人は関東の味が合わない人が多いらしいと聞いていたけど、本当にそう。
だしの味があまり感じられないので、美味しく感じない。 ※
最近は物価高のため、お菓子を買うのも減ってきた。
ただお互いの趣味にちょっと金はかかる。
といっても読書、写真、車で旅をするくらい。
うちは結婚することで、経済的にかなり節約になった。
結婚したら金がかかると思っていたのは間違いだったと、今では思う。
経済的な理由で結婚できない人もいると思うけど、工夫次第で何とかなる。
親の面倒をみたいのか否か、自分の本音は確認しておいたほうが良いと思う。
親の世話は法的には義務でないのだから、個々が他人と比較したり常識にとらわれずに、きれいごとは言わずに、自分はどうしたいのか考える必要がある。
弱っていく親を見て思わずかわいそうだから親を助けたいと思う心も素晴らしいが、例えば虐待を受けて育った子どもが、自分の本音を殺してまで親に仕えるのは、本当にそれでよいのか?何度も検証する必要がある。
介護施設に入れたとしても、私もだけど仕事だからとか自分の親じゃないから、逆に高齢者に優しく良いサービスを提供できることだってある。
こういう職業の人は、お世話を通して成長の機会をいただいているのだ。
金をもらうから、だけではないのだと思う。
結局何が言いたいのかというと、自分を犠牲にせず自分の人生を生きましょうということかな。
そのために選択は大事だよ、ということ。