私の友達の R子が、つ・い・に!!
今までの生活から
毒親から
脱出しましたー!!!
R子の仕事はスーパーの正社員。
キャリア20年近く。
店舗のことも経理もできるベテラン。
実家から出たのは
30歳くらいの時に半年間。
母親の虐待から逃れるため。
その時に一応好きだった人と結婚しましたが、動機が虐待から逃れるためだったので、3ヶ月ぐらいで離婚したそう。
仕方なく実家へ戻り
通帳は母親に握られたまま。
本職とバイトの掛け持ち生活。
彼女の変化のスピードがはやく、
どんどん人生が展開していったので
記録しておこう!
2018年
10月ごろだったかな?
実家の屋根の補修代のために、バイトの掛け持ちを始める。
スーパー:7〜19時
バイト :21〜1時
だったかな??
私ははっきり覚えてないけど、
睡眠時間が短いから大変とか言ってたな。
本職もバイトもギスギスした雰囲気で、人間関係が大変だとも言ってたなー
2019年
1月、潰瘍性大腸炎と診断される。
以前、便潜血でひっかかって受診したけど、若いからといって内視鏡はせず経過観察になったらしい。
血便が出たけど「治るだろう」と放置。
しばらくして私に相談し、怒られて病院へ。
ストレスが原因と言われたため
バイトをやめる。
もぉー!
イライラ、カリカリしてモンクばっかり!
私と疎遠になる。
8月、実家と職場が変だと気づき始める。
自分の人生について考え始める。
9月、私と仲直り。
10月、長崎へ旅行。
タイマッサージをプレゼント!
初めてマッサージ受けたらしい。
神の島教会に行って、キリスト教のことはよくわからないけどお祈りしてたら、R子は泣いてたなー
12月、仕事を辞めることを決意。
掛け持ちバイト(お好み焼き屋)の正社員に誘われて、寮付きなので応募してみるが話が全然進まず…。この時決まれば、勤務地が名古屋の予定でした。
少し前から、いろいろな人に
「介護職が合うんじゃない?!」と言われてたことに気づき始める。
「R子がケアマネになって一緒に働いたら楽しそう!」
10月に一緒に旅行したときに私が言ってたのも思い出したそう。
2020年
1月、仕事(スーパーの社員)を辞めることを会社に報告。
次の仕事が決まってないから切羽詰まって、とりあえず介護初任者研修のパンフレットを取り寄せる。
同時にお好み焼き屋の正社員の話がなくなって、焦りまくる店長の経験がないからダメだったとのこと。
とにかく実家を出るのが第一だったので、他にも寮付きの求人がないか探すが、工場しかないため断念…
私が介護のバイトに行ってる有料老人ホームの介護スタッフの人の友達が介護の派遣会社をやってるという話を聞き、一応連絡先を聞いてR子に伝える。
しかし、まだ介護をするか決まってないので連絡はしなかったそう。
2月
やっぱり仕事がないので、とりあえず初任者研修を受けることに決める。タイミングよく、近所にいい講座が見つかる!
15日、退職し、3月末まで有給消化。
17日〜、初任者研修開始!
介護の派遣会社の人に連絡を取り、求人の相談をする。
求人がほとんど関東なので、引越し先を関東に。
以前、テレビで住みやすい街ランキングで埼玉や千葉が入ってたので、あまり抵抗はなかったそう。東京は人が多いから、嫌だと言ってた。
3月
中旬、無事に初任者研修終了!
家族も介護職に転職するのを応援する。
特にお父さんは、合ってそうだから頑張りなさいと励ましてくれた。
20日頃、職場見学のため関東に来る。
派遣会社の人と初顔合わせ。
担当者が同じような境遇でR子と話が合い、自立について語り合えたと喜んでいた。
私はちょっと警戒していたが、
信頼関係も生まれたよう。
実際は寮付きの求人はなかった…
というか、あるけど短いスパンで人が足りない施設にヘルプに行くので、未経験者にはハードかも?ということで断念。
仕方なく自分で家を借りることに。
不動産屋に相談するが、あまりいい物件はなかったと。
とりあえず5月から関東で就職することを目指して、一旦九州へ戻りバイトに励む。
実家に帰ると、親から関東に行ったからコロナ感染者と決めつけられ、ひどい扱いを受ける。
母親はヒステリックに叫び、
父親は「お前なんか死んじまえ!」と部屋のドアを蹴る。
お父さん、
応援してくれてたんじゃないの??
悔しくて、悔しくて、
静かに部屋で泣いたと。
「いつか見返してやる!」
とふつふつとわいてきたと。
暴言に傷つき
本気で、早急に家を出る決意をする。
少しずつ自分の車に荷物を積み始める。
部屋に置いてあるスーツケースの中身を母親が勝手に開けて
「何でタオルがこんなに入ってるのか?!」
「関東に行くのか?!」
「私たちの生活はどぉなる?!」
と発狂し、頬を殴られる。
私物を許可なく勝手に見る親、暴力をふるう親に対し疑問を持ち、怒りと悲しみがこみ上げてきて、ひとりで静かに号泣。
「このままここにいたら、私が暴力をふるってしまいそう。」と、自分が怖くなってきたそう。
すぐにでも家を出たい衝動にかられたが、バイトを入れてたので数日は我慢。
4月
家を出るチャンスをうかがいながら、残りのバイトをこなす。
社会保険から国民健康保険へ変更手続き。
暴力母を扶養していたが、外す。
以前は私が親の面倒を見なければ、と思っていたが、兄もいるし
「お金が必要なら、シルバー人材センターで仕事を紹介してもらうとか、内職するとか、生活保護を申請するとか、身体が動くんだから自分でどぉにかできるはず!」
と、考えが変わった。
以前家出したときに暴力母に捜索願を出されたので、警察に一応相談するか…?
市役所に新しい住所を開示しないようにできるか相談。
自分の身の安全のために行政に確認。
一応、介護の仕事が決まった!
コロナが感染者拡大を始めた頃だったので、配属の施設や入職日は未定だけど、4月下旬になりそうと。
5日、
私がたまたま歩いてた通りに不動産屋があったので、なんとなく外壁に貼ってある物件の写メを撮りR子に送る。
気に入ったのがあったみたいで、
すぐに不動産屋に問い合わせる。
部屋は空いてるから、審査が通ればすぐに入居可能とのことで、部屋をおさえる。
6日、
13時頃、R子から電話がかかってきて
「出てきちゃった!」
と、ビックリ!!!
親が買い物に行ったスキに
「今だ!!!って強烈に思って。」
「気づいたら出てた。」
たまたま駐車場で親の車ととすれ違って、どこに行くのか聞かれたから
「職安に行ってくるー」
と言って旅立ったそう。
「家を出るってこんなに簡単っていうか、意外と普通なんだー」
と、ウキウキ、ワクワクしながらドライブしてたところ
親も何か察知したのか、ケイタイにひっきりなしに電話がかかってきたので無視し、着信拒否に。
お金がないので、下道で行くことにして。
彼女は10時間かけて下道で倉敷まで行き、力尽きてホテルへ。
7日、高速で無事に関東へ!
welcome
とりあえず、家の契約が済むまではビジネスホテル暮らしでしのぐ、と。
続きは、分けて書こう…
とにかく、
R子、すごいよ!!!
本当によくやった!!!
彼女は私と同じく41歳。
新しい人生を始めるのに
本当に年齢は関係ないよね