ビル風に悪戯に前髪を乱され、
一度軽く目を閉じて、シルクハットを深く引き下げた。
薄らと、開いた瞳に映るのは、夜の街。
快晴の夜空。満月が浮かぶ。風もそこそこ。絶好のシチュエーション。
歌いたくなるほどに。
眼下に広がる景色を一通り見渡して、再び目を閉じる。
頭の中で再生されるのは、『G線上のアリア』。
旋律を追うように、目蓋の上に乗せた指先が踊る。
これから、派手な鬼ごっこを繰り広げるというその時にこそ、
この曲は相応しい。
放っておいても勝手に高揚していく、精神と肉体を宥めるかのような。
祈りにも似た、この静かな数分間の儀式。
思えば自分はいつの日から、この儀式を必要とし始めたのであろうか。
自分の為だけに、
用意されたとも思しきこの夜。
舞台に降り立つその瞬間の快楽は、他の何事にも代えられぬ程。
自分を魅了して止まない。
あの日、
父の姿を胸に抱いて、白装束を身に纏った子供はもう何処にも居ない。
飛沫から生まれ落ちた人格は、
方向性を誤った人々の賞賛を一身に受け、
程なくして、その愉悦の味を覚えた。
穢れを知らぬ赤子の如く純粋に貪欲に、
更なる悦楽を求めて闇に身を染める。
ああ、思えば何て遠い処にまで来てしまったのだろう。
父さん、
貴方の息子はもう、貴方の愛する彼ではなくなった。
もし、そんな彼であろうと愛してくれるのであれば、
彼を、一刻も早く、殺してあげて。
「…………、」
曲が終わる。
静けさが満ちる。
白手袋に包まれた指先で軽く目蓋を撫でてから、
そっと、瞳を押し開ける。
祈りが通じる日はきっと来ない。
最早この世には、
これから向かう舞台以外に、彼が安らげる場所は存在しないのだから。
腕時計に視線を落とす。
開演の時刻まで、後十数秒。
さあ、ショーの始まりだ。
指先で軽くなぞった唇には、自然と笑みが刻まれた。
今宵の舞台、楽しませていただこうか。
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いつかの日記でのたまっていた、
ビバルディのモテット「まことの安らぎはこの世にはなく」をモチーフにした(らしい)
キッドな快斗サンの小ネタ(謎)
…イっちゃってる快斗サンを書いてみたくて、見事挫折(トホホ。涙)