――なあ、早く俺を殺してよ。
先の見えない追いかけっこの最中に、君がふと漏らした言葉。
*** killing me ***
一体何がしたいんだ。そう尋ねると君は妙に鮮やかな笑みを刷いて一言、「知らない」と返した。
知らないなんて、そりゃ確かに、人間は自分の行動の背後要因を逐一事細かに理解しているとは思えないけれど。
でも、知らないなんて、
君の行動はそんな言葉一つに収めてしまうには、少々規模が大きすぎる。
そんな思いを視線に籠めて見つめたらば、君はちょっと困ったように眉を寄せて、苦い笑みを刻んだ。
「わからなくなったんだ」
いや、最初からわかってなかったのかもしれない。
風に紛れて消えていく言葉の群。何を云ってるんだ。そう問えば今度はほんの少し可笑しそうに、君は口端を引き上げる。
「走ってれば何か見つかると思ってた。走ってる間は何も考えずに済むと思ってた」
でも最近さ、何か疲れちまってさ。そう続けて君は僅かに俯く。伏せられた目元に前髪が落ちて、深い影を作っていた。
「過去は……変えられないんだ。その原因を知っても」
そうだろ? 探偵さん。
持ち上げられた君の瞳はその時確かに、迷っていた。答えを求めるべく、縋るような視線を投げて。
確かに、君の云う事は真理だろう。後悔先に立たずって諺があるくらいだ。どんなに嘆こうが悔やもうが、過去は過去だ。覆水盆に返らず。そんな諺だってある。過ぎ去った時間は取り戻せない。時は前にしか進まないのだ。絶対に。
でもそれは、君が今こうして、この身と追いかけっこをしている理由にはならないだろう?
そういう趣旨の音を紡いだ先で、君は面白くなさそうに口をへのじに曲げて「わかってないねえ」
「おまえには夢がねえなあ。ファンタジーは理解するもんじゃない、騙されるもんだろ」
わからないのは君の方だ。今何の話をしていた? 何がしたいんだ。その問いから「ファンタジー」という解を導き出す為には、一体どんな公式を使えばいいのか。
そう返すと、君は少しの間を置いて、小さく息を吐く。苦笑いに唇を歪めたまま。
「騙されてくれないかな」
頼むよ。と君は繰り返す。「騙されてくれないかな」じゃないと走ってるのが辛くなる。
「俺だけじゃ駄目なんだ。周りも、おまえらも騙されてくれないと」
じゃないと俺は、消えたくなってしまう。
吐き出された言葉に喉奥で、よくわからない衝動が跳ねた。それを見て取ったらしい君は、再び困ったような笑みを刷いて「騙されてくれないかな」と零し、その後に続ける。それが出来ないんなら。
「――それが出来ないって云うんなら、俺を殺してよ」
前髪を散らす夜風に消えてしまいそうな儚い呟きは、多大なる衝撃となって鼓膜から耳管を通り抜け、そして脳髄を震わせた。融通の利かない、ちょっとばかり処理能力の低下した脳味噌の先で、君は優雅に、ふわりと微笑う。
「今直ぐ、ここで。俺を殺して」
最早、ただ呼吸をし、ただ目の前にあるものを瞳に映し、ただその場に立っているだけの生命体に成り果ててしまったこの身体に向けて、君は云う。「なあ、殺してよ」
命令ではない、懇願という形で。きっと自分には一生理解できない、未知の世界に存在する公式を用いたのであろう、導き出された解は「殺してくれ」という願い。
「殺してくれよ。そうすればもう、夢を見ないで済むだろう?」
――この場に、彼が居たなら。
きっとこう云うだろう。「何云ってんだ。殺す前に捕まえてやるよ」そう云って、不敵な笑みでいとも簡単に躱すのだ。更にもう一人の彼ならこう返すはずだ。「わかった。殺してやるからそこから降りて、とりあえずこっちに来い」それが当然であるかのように、迷わず手を差し伸べて。
だが自分は。今、君と向かい合っているこの自分は。
何も――何も云えない。何を云うべきか、君が何を望んでこんな言葉遊びを仕掛けたのか、君の用いる公式が理解出来ないように、そして、君がどうしてこんな遊びを始めたのか理解しかねるように、全く、これっぽっちも、わからない。
酸素不足に陥った脳味噌が喘いでいる。それを見透かしたように君は笑う。くっきりと、とても綺麗な笑みを象って、何事もなかったかのように目を伏せる。けれどその瞳が持ち上げられた次の瞬間、そこにあったはずの笑みは跡形もなく剥がされていた。
「…やっぱりおまえにも、俺は殺せねえんだな」
あったのは、空白のような表情と、声音。その、どこか嘲るような響きに一瞬、ほんの一瞬、絶望めいたものが重なった気がして、弾かれるようにして顔を上げれば白いマントが翻る。
「――さようなら、探偵さん」
云って、君は夜空へと飛び立つ。翼は開かれていた。失墜することもなく、君は文字通り鮮やかに飛び立った。
「殺してくれ」と懇願したその身体で、何も変わらず、一切を悟らせることなく君は、夜の闇を翔る。
――殺してほしいのはこっちの方だ。
ビル風が君の名残を全て攫ってしまった頃、ひりついた喉からやっとのことで、言葉を搾り出した。
この身体は君の云う夢も、理論も、理解し得ない。ファンタジーに騙されてやることも出来なければ、殺してやることも出来やしない。受け入れることも、突き放すことも、何一つ。
何一つとして、君の思うようにならない。君の望みを叶えられないのであれば。
いっそ消えてしまったほうが、楽なのかもしれない。
こんなん出ました(?
迷える怪盗さんと、探偵衆の一人。と、ボカしたつもりだがバレバレですな(笑)
ハイ。彼と彼のやり取りをイメージしていました。最初から。
が、実は「もう一人の彼」との押し問答が元ネタだったり…。
コレ書いちゃったから、もう書かないけど。