ずっと気になっていた本を読んだ。
3.11の霊体験の記録。
もちろん、興味本位のものではなく、鎮魂の書ともいうべき記録。
(でも、こういうのが苦手な方は、ここまでで・・・)
作者は、2006年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した、奥野修司氏。
柳田國男の遠野物語を引き合いに出し、記録として残しておかなければ申し訳ない、という気持ちから書かれたという。
「大自然という大海の中に論理という網を投げて、引っ掛かってきたものが科学的成果で、大半の水は科学という網目からはこぼれ落ちるんだと物理学者の中谷宇吉郎が言ったが、そういう科学の限界点を知れば、お迎え(霊)が存在しないなんて恥ずかしくて言えないはずだ。」
(引用・宮城県で在宅緩和医療のパイオニアとして二千人以上を看取った岡部医院の岡部健氏の言葉)
こちら(被災県)にいると、口伝えで、震災の時のいろいろな出来事をよく聞く。
被災地の支援に行った時撮った写真のほとんどに、いわゆるオーブと呼ばれる円い大小の光がいっぱい写っていたとか。
タクシーの運転手さんが霊を乗せた話だとか。
でもこの本には、そんな噂話ではなく、もっとずっと切羽詰まった実体験が、ご本人からの聞き取りによって記録されていた。
亡くなった兄の死亡届を出してる最中、その兄からメールが届いた。
「ありがとう」とひと言。
軽い気持ちで電話してみたら、亡くなった本人がでた。
津波で流されて発見されていない携帯に。
形見の水没した電話の電源が突然入って光りだした。
亡くなった子どもの玩具が、まるでここにいるとでもいうように、動き出した。
遺品が偶然とは思えないタイミングで突然手許に戻って来た。
遠くに住んでいたのに、津波に吞み込まれているおばあちゃんの様子がリアルタイムにイメージに浮かんできた。
家族、親族に同じ時間にドアを叩くなどのお知らせがあった。
夢にまつわる不思議な符丁は、それこそ、いっぱい。
話すと嘘だと思われるから誰にも言えなかったという方ばかりで、話すことで癒されたと。
皆さん、起こった出来事を大切な人からのメッセージだと受け止めていて、それがきっかけで前を向くことができたと言う。
あの世へ逝ってしまった大切な人からのメッセージは、こんな風にして届けられるのかと思った。
この世とあの世の境は案外薄いのかもしれない。
誰もあの世から、優しくメッセージを送ってくれているのかもしれない。
あの人、この人の顔を思い浮かべつつ、
思っていれば、きっと伝わる、
そばで見守ってくれている、そんな風に思えた。
Merci