当たり前のように
一人の死が
流されていく。

知らない場所の
知らない人の死が
報道されて
ただの情報として
私の目の前を
流れていく。


そしてその裏で
報道されない死も
私の知らないとこで
流れていく。



そして隣には
家族や恋人や友人や…
寄り添う人がいて
"情報"ではなく"人の死"を
感じ涙し受け止めている。

きっと彼らは
私たちがその人の死を
情報としてながしているのを
知らない。
そして私たちは
彼らが私たちが情報として
捉えながしているものに
身震わせ涙しているのを
知らない。



わたしの世界は狭い

そしてわたしの知らない
世界は広い





もし翔さんが死んだら
私の世界はそれが全てを
支配して真っ暗になる
どんなに小さな私の世界も
世界だ。

だけど目に見えない
私の外の世界には
翔さんの死を情報として
捉えながしている人や
もしくはその一つの死を
知りもしない人もいる。


それは当たり前なんだけど
私の全てであることが
他人の"1"でもないのは
不思議で怖かったりする。




それでも世界は
そうじゃなきゃ
回らなかったりする

皆が皆
すべての死に一つずつ
向き合っていたら
世界は涙に溺れる



溺れるべきは
笑顔だと、
私は思う。









私はこんなに
誰かを愛しているのは
地球上で私が一番なんじゃ
ないかってくらい
嵐を愛しているよ


そうすると私の
小さな世界は
笑顔で溢れるの


私の知らない
広い世界も
そうなればいいのにね





大事な人の
死を考えてみた
夜でした














u&me=us hagumi、*