僕が生きてゐるとき、君も生きてゐる。あんまりボシャボシャ雨が降つたり、あんまり夜がまつくらだったり、それに、生きてゐるといふことがどんなことだか、僕にははつきりわからなかつたり、けふもボンヤリ、僕はと云へば、してゐるだけだけれども。
僕が生きてゐるけふ、君も生きてゐる。生きてゐるといふことは、たつたそれだけの思ひだけのものかも知れない。
僕は時々、屈託しきつた顔をして街に出てゆき、本屋の店頭に並んだ雑誌をひっくり返して、君をさがすものらしい。けれども街の店頭に君をさがすなんて、僕は少し見当違ひをやつてゐるらしい。
君の歌はひどく静かだ。人目につかない所で、人目につかない心だけが耳にすることのできるやうな歌だ。
たとへば、僕は裏町にでかけて行つて、窓といふ窓を、巡礼のやうにめぐり歩き、どこかその一つから聞えてくる子守歌を耳にとめることができたら、もうそれでいいことかも知れない。
たとへば、小高い丘にのぼつて、遠く小さくひと握りほどによりあつた街を眺め、あの街のどこかに僕は住みついてゐるんだなと、そんなやうな遠い目つきになれれば、いいことかも知れない。
僕は君をさがすと云つたけれども、ほんたうは、君といふ人はゐない人なのだと、ふと街角に立つて思つたりするのです。どこか遠い岸から、この世の中の岸へ渡つてくる聞きとれぬほどはるかな歌か風の声ではなかつたかしらと思つたりして。
僕は君をさがすと云ふけれども、ほんたうは僕を探してゐるのかも知れない。
ずつと遠くへ行つてしまつた僕が、そこから、僕を呼んでゐるのかも知れない。
(小山清「風の便り」)
奥の部屋からも
海がよく見えるように
この2本の木を切ろうと
着替えたあとになって
武器(ノコギリ🪚など)を
大阪に忘れてしまったことに
気づく
仕方ないので
朝からビール
切ってしまったら
木漏れ日がなくなるかー