こんにちは。

「家族」と「葬送」をテーマに

書いております、ライターの橘さつきです。

 

悲しい家族の悲劇の現実を

書いていますが、

 

けっして葬送や弔いに意味がないとは

思ってはいません。

 

ずーっと「弔い」の意味を考えてきました。

 

人はなぜ「弔い」をするのか?

だれのために「弔い」を

するのだろう?

 

 

「生きざまは死にざま」

という言葉がありますが

 

人間は死亡率100%.

病気や事故などの死因を

前世や先祖の因縁や業のようには

考えたくありませんが、

 

 

「弔い」を見つめると、

まさにその人の生前の姿が

あぶりだされるというのは

本当だと思います。

 

「死」によって、

途端に近づいてくる人もいます。

「死を悼む」という大義名分を

ベールに見えてしまう思惑。

 

この人の周りには

利用する人ばかりだったのか?

 

壮大な葬儀を望んでいるのは

誰なのか?

それによって権力を得るのは誰か?

結束を表すために儀式があるのか?

身内の名誉のためなのか?

 

 

何も言えない故人は

いったい、どんな葬儀を

望んでいるのだろう?

 

 

あぶりだされるのは故人だけでは

ありませんね。

 

弔う側の遺族の関係、

遺族が何を大事にしてきのか?

一人の人間の幸せなのか?

血族の名誉の存続なのか?

 

他人の第三者でも同じです。

 

その人が一人の人間の「死」に

どう向き合うのかで、

本質が見えてくるなと、

思います。

 

上辺の関係だけ取り繕う人の

泪の裏の素顔も映し出します。

 

 

命の終わりを見つめ、

真摯に向き合う人に

言葉にできない感動を

したこともあります。

 

人との出会いを

最後まで大事にして、

弔う人の姿に、

希望をもらいました。

 

人との出会いと別れを

大事にすることって、

「丁寧に生きること」

なんですよね!

 

「弔い」を通して、

透かすように見えてしまう

人間の姿があるように思います。

 

 

 

 

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