こんにちは。

ライターの橘さつきです。

「家族と葬送」をテーマに書いています。

 

家族なのに大変。

いや、家族だからこそ大変なのか?

 

タブーとされてきた「家族の闇」、

「絶縁家族の終焉」を取材を続けてきました。

 

なぜ「家族と葬送」をテーマにしたのか?

 

 

「葬送」って、その人がよくわかると思う

のです。

 

自分の死や身近な家族の死、

また親しくはない人の死でも、

どう受け止めるのかで、

その人の人間性が見えてしまう。

 

絶縁している子には

自分の死を知らせない、

葬式にも出ることを許さない親。

 

親の葬儀にでることを拒む子ども。

 

また家族が顔をそろえる葬儀であっても、

ひと言も口をきかないことも

 

葬儀場の遺族控室が

家庭争議の場になることも

珍しくはありません。

 

「葬儀だからこそ」と世間は

大切な節目に

平和に折り合いをつけることを

期待しますが、

 

 

「葬儀だからこそ」

来させない、行かないと

怒りや憎しみの深さを

示す場になっていることもあります。

 

相手に後悔させるため?

 

死後まで家族を分断する

ような遺言を遺して逝く人。

 

葬儀が家族戦争の終焉ではなく、

溝をさらに深めてしまうことも。

 

ずっと、なぜなんだろうと、

考えてきました。

 

電車の吊り棚に

放置された遺骨の多さにも

それを見ることができます。

 

また親の葬儀を

知らされることがなくても、

一人で家族とは別に

自分のやり方で弔いながら

気持ちの整理をしている人も

います。

 

 

家族の亀裂の深さ、関係は

それぞれだから、

一つの答えはありませんが、

 

どう命の終わりを見届け、

受け入れるか?

どうやってあの世に旅立つか?

 

その人らしさがわかることだなと、

思うのです……。

 

「死」を見つめることは、

まさに「生き方」を示すものだと。