渋沢栄一の人生を描いた

NHK大河ドラマ「青天を衝け」が

今夜いよいよ、最終回!

 

 

最終回ということであれば、

おそらく急ピッチでドラマが進行して、

91歳の大往生までを描くのでしょう。

 

だけど、きっとそこまでですよね。

 

しかし、渋沢家のドラマは

偉大なる栄一が逝去した後も

続くのです。

 

家族問題をテーマにしている私としては、

正直、大河ドラマは物足りない。

 

是非、皆さんにご紹介したいのが

この本です。

1998年に書かれた佐野真一さんのこの本です!

私は刊行したとき、すぐに読みました。

 

 

文春新書『渋沢家三代』佐野眞一 | 新書 - 文藝春秋BOOKS (bunshun.jp)

 

 

渋沢栄一は昭和6年10月、

91歳の大往生を

自宅でとげました。

 

 

渋沢栄一の葬儀は

北区・飛鳥山の自宅から

青山葬儀場まで

まだ自動車が一般に普及していなかった時代に

1500台に近い車列を組んで向かったと

いいます。

 

青山から上野の寛永寺までの

沿道には児童も含む4万人をこす

人々が参列し、

幕末から、明治、大正、昭和を

生きた偉大なる人物に

哀悼の意を表しました。

 

今夜の放送ではここまで

描くでしょうか?

 

でもこの先はふれないでしょうね。

 

しかし、栄一の死去からわずか3カ月たらずで、

長女の歌子が他界してしました。

68歳でした。

不眠不休の看病をした歌子でした。

その疲れが歌子の命を奪ったともいえます。

母を亡くした後、母に代わって

渋沢家存続のために

生涯を捧げたといっても

よいでしょう。

 

母親に代わって、9歳下の弟を

育ててきた歌子でした。

 

母が亡くなったとき、

わずか19歳だった歌子。

妻妾同居だった渋沢家。

母の死後、一年で栄一は

再婚し、後妻との間に

たてつづけに三男一女をつくりました。

 

 

そんな中でまだ若い歌子に

9歳下の弟の子育てが任せられたのです。

 

放蕩を重ね廃嫡となった篤二と父との

こじれた関係の原因は

栄一のあまりに複雑で、放埓な女性関係

にあったのです。

 

姉の歌子の後を追うように、

その半年後に

篤二が妾宅で62歳の生涯を終えました。

 

 

篤二は亡くなる前に

「父の思い出の断想」という文を書いています。

篤二が栄一について書いたのは、

後にも先にもこれ一度だけでした。

 

渋沢家は

わずか一年足らずのうちに

栄一、歌子、篤二という

最も需要な柱を

失ってしまったのでした。

 

篤二が亡くなったとき、

一緒に二十年以上暮らしていた

元芸者の玉蝶は篤二の亡骸の

引き渡しを頑なに拒んだといいます。

 

「あなたたち一族がよってたかって

この人を駄目にした。

いまさら返せとは何事か」と。

 

息子の敬三が羽織袴の正装で

出向き、深々と頭をさげて

どうにか篤二の遺骸は渋沢家に

戻ることができたのです。

 

『渋沢家三代」にはこの玉蝶の

その後のことも書かれています。

 

大河ドラマでは決して触れられない、

渋沢家の家族の人間ドラマを

是非、読んでみてください。

 

巨星のように世を照らした

渋沢栄一も家族のことで悩み、

また彼自身も家族を傷つけて

苦しめていたことを知って、

是非「家族」について考えて

見て欲しいと思います。

 

 

渋沢自身も晩年

「婦人関係以外は、

一生を顧みて俯仰天地に恥じない」

と、語っていたとか!

 

儒教はキリスト教とちがい、

不倫を禁ずることはないのだとという

ことを一応そえておきましょう。(笑)

 

現代の家族の問題にせまったこの本も

どうぞよしく!

 

是非、お正月休みに読んでいてください。

家族の問題は社会の問題です。

 

『絶縁家族 終焉のとき

  ― 試される「家族」の絆』

 

 

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