こんにちは。

ライターの橘さつきです。

「家族と葬送」をテーマに書いています。

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家族関係に苦しみ、

家族と絶縁している多くの人に

お会いしました。

 

家族に苦しみ、

相手が家族ゆえに

人には語られない

家族の永別……。

 

 

私自身も経験しています。

 

父が急逝したのは、

三年間の絶縁中のことでした。

享年67。

 

絶縁の理由は

なんとも馬鹿らしく、

理不尽な親のエゴでした。

 

同じ駅に線路を挟んで反対側に

住みながら、親からの希望で絶縁。

 

絶縁中に両親には知らせずに、

私は次男を出産していました。

 

私が兄に授からない子を産むことが、

親や兄の憎悪をかってしまったからです。

 

父の死後、

父親と反目したままで

永別したことを

母親から非難されました。

母が招いた絶縁なのに……。

 

「親孝行したいときに、親はなし」

と私がとんでもない親不孝者と、

責め続けたのです。

 

世間はどんな親であっても

親を責めることはしません。

「親なんだから」と丸く収めようと

するのが社会です。

 

あれから26年が経ちました。

 

親の年に近づき、思うことは、

なぜ、親を諭す言葉を

世間は言わないのだろう?

儒教の教えにないのだろう

ということ。

 

老いに向かう親が

自分が育てた子どもの人生を

我が物のように

踏みつぶすように破壊していく

親の心理とは何か?

 

今、還暦を迎えて考えます。

 

 

病院嫌いな父は

治療も一切受けずに、

入院当夜、

翌朝の検査からも逃げるように

誰にも看取られることなく、

病室で独りで旅立ちました。

 

父は旅立つとき、

何を考えたのでしょうか?

 

家父長として威張っていた

昭和の男でした。

親への反抗も反論も

許されない時代でした。

 

あれは封建的な力で支配しただけの、

虚構の「家族の秩序」だったの

でしょうか?

 

仕事は出来る父でしたが、

家庭では妻のいいなりで、

家族を崩壊させたままで

他界しました。

 

父はそんな人生を

後悔しなかったのでしょうか?

 

ひとりで墓参りの度に

仏となった父へ語りかけてきました。

でも、何も答えてはくれなかった……。

 

亡くなる10日ほど前、

娘が次男を生んでいて、

その子が一歳になることを

知人から初めて知らされた

父でした。

 

父の部屋のカレンダーには

ひと目会うこともなかった

二人目の孫の誕生日に

マルがつけられていました。

 

 

家族ほど不可解で、

危険なものはありません。

 

家族の悲劇は

誰にも知られずに、

家のカーテンの奥で

起きているのです。

 

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