こんにちは。

ライターの橘さつきです。

「家族と葬送」をテーマに書いています。

はじめましての方はコチラ

 

加藤登紀子さんの著書

『哲さんの声が聞こえる』から、

また、お伝えしたいことがあります。

 

 

哲さんの声が聞こえる - 合同出版 (godo-shuppan.co.jp)

 

中村哲さんのこと、アフガニスタンのこと

世界のことを、もっと知りたいと思いました。

 

哲さんのような日本人がいたことを

心から誇りに思います。

 

哲さんの活動については、

是非、本を読んでくださいね。

 

ここでは、父親としての哲さんに

触れたいと思います。

 

 

知らなかった。

哲さんの息子さんが10歳で

亡くなられていたなんて……。

 

脳腫瘍の手術を受け、

余命1年以内と言われながら、

 

アフガニスタンでの活動を

やめるわけにはいかなかった哲さん。

2001年12月

いよいよ容態が悪化して、

哲さんは帰国しました。

 

それからの日々、

病院から息子さんを戻し、

脳神経の専門医として

最期を看取るまで

そばに付き添ったそうです。

 

そんな時でも、冗談をいって、

みんなを楽しくさせた息子さんでした。

 

死期を知っていたのか、

「どうせ人間は一度は死ぬのさ」

と10歳の少年が言いました。

 

12月27日の深夜に

少年は天に召されたのです……。

 

 

「翌朝、庭を眺めると、

冬枯れの木立に一本、

小春日和の陽光を浴び、

輝くような青葉の肉桂の木が

屹立している。

 

 

 

 

()

死んだ子と同じ樹齢で、

生まれた頃、

野鳥が運んで自生したものらしい。

常々『お前と同じ歳だ』と

言ってきたのを思い出して、

初めて涙があふれてきた」

 

 

「遠いアフガンの地で、

子どもを抱きしめる母によりそい、

身を挺して働いた哲さんの

一瞬一瞬の中に、

息子さんへの慟哭の愛があった

ことを、胸底に留めておきたいと」

 

本書の中で、

おときさんは語っています。

 

涙があふれ、

言葉がありませんでした。

 

哲さんの息子さんは

生きていれば、私の長男と

同じくらい。

 

肉桂(ニッケイ)は

シナモンの木のことです。

 

お墓に拘らずに、

亡き人の思い出に樹を植える。

 

そんな樹の墓標は

私が願う追悼のかたちでした。

 

風雨にさらされ、

いつか枯れて朽ちても、

その種を風や鳥が

見知らぬ土地に運び、

そこで新しい命が

芽生えているかもしれない。

 

名を刻む墓碑もいらない。

そんなかたちで

自然の中で

つながっていくことを

考えていたことでした。

 

 

樹齢を重ねて、

樹だけが屹立するように

育っていく哀しみ……。

 

 

深い悲しみの底でも

こんなにも尊い人生を

歩む人がいるのですね。

 

哲さんと息子さんのことを

思って、夜空の星を眺めて

祈りました。