一度しか会ったことがなくても、

忘れられない人がいます。

 

「日本のおかげで

  世界を見ることができました」

 

とその人は遠くの海を見つめながら、

静かに語りました。

 

 

2017年の夏の旅を振り返ります。

友人と台湾の台東県にある

港口(がんこう)部落にアミ族の豊年祭を訪ねました。

 

アミ族は台湾の原住民族のうちのひとつ。

「原住民」というと、日本人には抵抗が

あるかもしれませんね。

「先住民族」と呼ぶ人の方が多いと思います。

 

しかし、「先住民族」とは

遠い過去の人のような印象を持つと理由で、

台湾では「原住民族」が正しい呼び方。

だから、ここでも「原住民」という呼び方をしますね。

敬意をこめて。

 

その忘れられない人とは?

 

その港口部落を率いる頭目

レカル・ポトンさんです。

頭目(とうもく)とは原住民族の部落のいわば、酋長。

お会いした時に、96歳の長老でありながら、

現役の頭目をされていました。

 

 

元高砂義勇隊だった誇り高きアミ族の長老

 

ご自宅に挨拶に伺うと、

レカルさんは言葉をゆっくり噛みしめながら、

日本語で話してくださいました。

 

驚くことに、レカルさんは

最も過酷だったと言われるニューギニア戦で

戦った高砂義勇隊の方だったのです。

 

レカルさんは遠くの海を見つめながら、

「日本のおかげで世界を見ることが

できました」と静かに語り、

日本の軍歌を歌われたのです……。

 

 

返す言葉がありませんでした。

 

 

ニューギニア戦は

「生きて帰れぬニューギニア」

語り継がれる、最も過酷な戦場。

 

無数の無残な死を見られてきたことでしょう。

ご自身も何度も死ぬ思いをされて……。

「生と死」の地獄の狭間を生き抜いて、

生きて帰れたことが、まさに奇跡中の奇跡です。

 

レカルさんはジャングルで、

日本兵に狩猟の仕方や

食用にできる植物の選別

などを教えながら、

 

日本兵として

戦ったと話してくれました。

 

私は戦争を知らない世代ですが、

ジャングルの戦場での

高砂義勇隊の有能で勇敢な

働きぶりは有名な話。

 

 

戦後70年が過ぎて、

まさか元高砂義勇隊の方に

お会いできるとは思ってもいませんでした。

 

日本人として心を一つにして、

生死を賭けて戦った高砂義勇隊には

日本政府からは何の補償もされていません。

 

台湾の人は戦後の日華平和条約により、

日本国籍を喪失し、日本人ではなくなった

として、補償対象から外されてきたのでした。

戦争被害に対する補償どころか、

当時の給与さえも支払われていないという、

理不尽な体験をされた方が、

 

「もしも日本との出会いがなかったら、

アミ族の部落と台湾のことだけしか、

知ることはなかったでしょう。

日本のおかげで世界を見ることができました」

 

背筋をピンと伸ばし、

澄んだ目をして、

優しく微笑んで

静かに語るレカル・ポトンさん。

 

「気骨がある」とは、

こういう方のことをいうのでしょう。

 

 

そして、原住民族の部落の暮らしの問題や、

若者をどうやって導くか、

頭目としての役割などと

語ってくれました。

 

部落にはこれといった産業がなく、

働き口を探して、若者は都会に出ていきます。

 

男性の8割が出稼ぎにいき、

女性も多くが出稼ぎに出て

家計を支えています。

残った老人が子どもの世話をしている

家庭のなんと多いこと。

 

豊年祭で出会った陽気な50代の男性は

世界を回る大型船の船員をしていました。

ブラジル人の妻と子どもと住む家が

リオネジャネイロにあると言います。

年に一度、豊年祭のために両親に会いに帰って

くるのが楽しみだとか。

親の死に目には会えない覚悟を

うるんだ目で話してくれました。

 

 

世界は大きく変わってきていますね。

「家族のかたち」もこんなに

変わってきているのですね。

アミ族の部落を訪ねて、

現在の地球を見た気がしました。

 

 

頭目は選挙で選ばれます。

聡明で人徳のあるレカルさんが

部落の人から信頼される理由が

よくわかりました。

 

戦場で戦った人が傷を負うのは、

身体だけではありません。

正義を振りかざして、

殺し合う狂気の沙汰の戦争。

生還できても、当然ながら

心を病む人は多くいます。

 

消えない恐怖の記憶や

罪悪感に戦後も悩み苦しんで

こられたと思います。

 

亡くなった多くの仲間の分も

「命の大切さ」を胸に刻み

生きてこられたのでしょう。

 

 

それでも

「日本のおかげで、世界を知ることが

できました」

というレカルさんの言葉……。

 

私は今も忘れることができません。

 

私たちはその部落に一週間滞在しました。

レカルさんの妹・アレックさんが経営する民宿に

泊まって。

あの一青窈さんも泊まった宿です。

 

 

民族衣装はお祭りの衣装。

簡素ではありますが、電気と水道もあり

ます。扇風機も!

シャワーは枯草を採り焚いてお湯を沸かす

手間をわざわざかけるので、水シャワー。

でも、旅は不便さを楽しい冒険に変えてくれます!

 

 

豊年祭の前夜祭から後夜祭まで、

5日間、飽きることなく一緒に踊り

酒を酌み交わし楽しんだ

忘れられない旅となりました。

 

日本人の残念な言葉

 

しかし、こんな残念なことも。

 

帰国してその感動を

日本の80歳の男性に伝えたら、

ナント、言ったと思いますか?

 

「『蛮族』といっしょにしてくれるなよ」

 

蛮族(ばんぞく)とは日本が台湾を統治していた時代に

原住民族を侮蔑して呼んでいた呼称です。

 

その方は敗戦の時はまだ幼い子どもだった

はずです。

高学歴で、自分で会社を興し、今も会長職に

いる方でした。

 

日本人として恥ずかしかった……。

 

不意にでた言葉だったのでしょう。

しかし、ご本人はまったく失言だとも

思っていないのです。

 

最近の政治家の発言みたいですね。

やはり、心の中にあるものが

つい、出ちゃうのよね~。

隠せない本心。

 

「蛮族」という言葉をつかう日本人がまだいた

とはオドロキでした。

 

私にはレカルさんと今の台湾が重なります。

 

一年以上、世界中を震撼させ続けている

新型コロナウィルスのパンデミックに

台湾の蔡英文首相の英断は見事でした。

蔡英文の祖母はパイワン族です。

 

天才IT 担当大臣、オードリー・タン

見事な対策対応!

 

親日的といわれ、日本からも多くの人が

訪ねる台湾。

過去の歴史を振り返り、日本統治の功罪を

知ることも大切ですが、

 

同時に今の台湾と台湾人を

もっと知るべきかも?

 

 

台湾は先進国に急成長した日本から

学ぼうと必死でした。

日本語の本はほとんど同時に

翻訳版が刊行されています。

 

まだまだインフラなど日本ほど

整備されていませんが、

揺るがない原動力を感じます。

 

コロナ禍で

日本が誇っていたのは何だったのか?

何が世界から遅れているのか?

そんな問いを突き付けられたような

気がします。

 

日本が台湾から世界を学ぶ時代に

なっているのかもしれません。

 

レカルさんは今年100歳になられるはず。

お元気かしら?

お元気でいてほしいです。

コロナが落ち着いたら、

まずは台湾にもう一度彼に会いにいきたいです!