長寿の時代で家族葬が一般的になり

我が家の20代の子たちは、

ナント、お葬式を知りません。

 

幸いなことにというのでしょうか?

身近で亡くなる人がいないまま、

お葬式を知らずに

大人になりました。

 

数年前のことです。

夜、いきなり大学生の娘が

隣駅にすむ高校の同級生の家に

泊まりに行くと言い出しました。

 

出かけ際に

「絵梨ちゃんのお母さん、

亡くなっちゃったんだよね……」

と、ポツリ。

 

「えー、知らなかった。いつ?」

「三か月くらい前かな。

癌がわかったら、

もう手遅れだったんだって。

半年で亡くなったらしい……」

 

そんな話は初耳でした。

お葬式に行った話も聞いた記憶もありません。

 

 

「なにか、お友達としてしてあげたの?」

と聞くと、

「しないよ、家族葬だもの」と娘。

 

言葉がありませんでした……。

 

私が友達でお花でも送ったのかと聞けば、

「そんなことも知らないの?

家族葬にはしないのが普通デショ。

かえって迷惑になるよ」

ときかない娘。

 

もう、ショックでした……

こんな娘に誰がした?

それはワタシ。

 

「あなた、何もしないつもり? 

それって、おかしいでしょう?

友達なのに?」

 

「うん、だって向こうが家族だけで送るって

言っているんだから。こちらからは言えないよ。

それがマナーってもんデショ」

と頑固な娘。

いったい誰に似たのでしょう?

 

友達も誰一人、お悔やみにも行かず、

会っても、できるだけふれないように

していたとか。

 

娘は絵梨ちゃんの家に泊まりに行ったこともあり、

お母様ともお会いしていたのに……。

 

家族葬ばかりの世の中はまるで無葬社会

 

考えてみれば、娘はその歳まで

一度もお葬式に出たことがなかったのです。

24歳の今も、その機会はいまだにありません。

 

幸いにも亡くなる人が

身近にいないのだから、

娘のせいではないけれど。

 

たしかに大勢の会葬者に気を遣うことなく、

家族だけで静かに見送りたい遺族の気持ちは

すごくよくわかるのです。

 

友人のご両親の葬儀も家族葬ばかりで、

私自身、お葬式に行くことがなくなりました。

 

家族葬に香典をお送りするのも、返礼品の気遣いを

させてしまうかと、たしかに悩みます。

 

でも友人たちで、遺族にそういう気遣いを

させない配慮をして、何人かでお花だけでも

お送りしています。

 

落ち着いた頃に、食事に誘いだしたり。

少しでも寄り添う努力をしてきました。

代わりに何かできることを探してしてきました。

 

でも、お葬式を知らずに育った若者には、

家族葬しか知らないのです。

その家族葬さえ経験がないということ!

もうこれは無葬社会ですよ!

 

だから、

何もしないで、気を遣わせないのが礼儀だと

思ってしまっているんですね……。

 

私が葬送文化を学びながら、

我が子にはなんの教育もしてこなかった

ことを情けなく反省しました。

 

時計はすでに夜の10時。

スーパーも花屋も締まっています。

冬で庭の花もなく……。

まさか、コンビニの花を持って行く

わけにもいきません……。

 

せめてお線香だけでも

 

娘にせめて、お母様にお線香をあげさせて

もらいなさいと、伝えました。

「きっとお母様だって

娘のお友達がお線香をあげてくれたら、

嬉しいはずよ……」

 

娘は頷いて出かけました。

 

娘を追いかけて、

「ちょっと、マッタ~! だけど、もしかして、

部屋も片付けていないと、

かえって負担に思うかも?

一言だけ聞いてごらん。無理押しをしないでね」

 

 

翌日、帰ってきた娘に聞くと、

「お母様にお線香をあげさせて」

と言ったら、

絵梨ちゃんもお父様もとても喜んでくれたそうです。

 

それを聞いて、少しほっとしました。

娘も何かを感じたのでしょう。

すこしだけ大人になれたように思いました。

 

私が三歳の時に曾祖母が亡くなって、

田舎の火葬場で荼毘に付しました。

「おくりびと」の映画のシーンのように

遺族が着火して、火葬炉を覗いたのが

今でもショックで、よく覚えています。

 

あれが、私の初めてのお葬式の体験でした。

親戚の人が、初めての火葬だと、

騒いでいたのを覚えています。

 

今まで、祖母やご近所、友人や仕事関係と

いろいろな関わりの方の

お葬式に参列してきました。

 

会葬のマナーに自信がなく、

慌ててマナー本を読んで会葬して。

香典袋は何にすべきか?

香典はいくらにしようか?

と悩みながら。

 

ちょっと面倒だったかもしれない。

でも、今にして思えば、

それも経験だったなと思います。

 

しかし、家族葬の時代になって

ここ何年もお葬式に行く

ことがなくなりました。

 

もしかして、

病気や事故で早くに亡くなる家族がいない、

幸運な家庭にたまたま育つと、

まったくお葬式を知らずに大人になってしまう

という不運がまっている?

 

本当にこれでいいのでしょうか?

儀式的なお葬式が良いとは思わないけれど、

 

「弔い」がもたらす出会い

 

「弔う」ことから学べることって、

不思議とたくさんありますよ。

 

 

大切な人を失ったときは、

ただそっとしておいてほしいかも?

 

でも悲しみに寄り添って、一緒に泣いてくれる人が

そばにいたら、心づよく前を向いていけるような

気がします……。

 

それも亡くなった人が旅立つ前に

家族に贈る素敵な出会いではないでしょうか?

 

家族葬も悪くない。

でも、弔う気持ちを見失いたくないですね。

 

さあ、何かを大切にしていかないと、

育んでいかないと、大事なものを見失いそうな

そんな世の中です。