なぜ、日本では

人が亡くなると、「不幸があった」

と言うのでしょうか?

 

「身内に不幸がありまして……」

「○○様はご親族に不幸があったため……」

ナンテ、よく言ったり、聞いたりしますよね?

 

何か違和感を感じませんか?

 

命には限りがあり、

「死」は避けられません。

人間の死亡率は100%なのに。

 

「死」が不幸であれば、すべての人の

最期は不幸ってこと?!

どんなに幸福な人生を歩んでいても、

死ぬときは不幸なの?

 

私たちは不幸に向かって、

生きているのでしょうか?

 

違いますよね!

 

薬も検査薬もない時代には、

「死」はうつるものと

恐れられてきました。

感染症はもっとも怖い病気だったのです。

 

今も新型コロナウィルスのパンデミックが

世界中を震撼させています。

100年に一度といわれる世界的な流行になりました。

 

しかし、昔はこうした感染症が頻繁に日本でも

流行していたのです

 

きっとそうした恐れから

「死穢」の感情がおこり、

「死を悲しむ」表現が「不幸」になったの

ではないでしょうか?

 

いつの時代からそう言われるように

なったのかは、わかりませんが、

 

このように、なんとなく使っている言葉、

慣習を見直して、いきたいなと思います。

 

みんなが使っているから、仕方がない?

 

いいえ、まずは自分ひとりでも

おかしいと思うことは変えてみませんか?

 

古き良き伝統は大切にしたい。

でも、悪しき因習は変えていく勇気を!

 

 

自分が死んだときに

「不幸でしたね」と言われたいですか?

「よく頑張って生きたね。ありがとう」

と言ってもらいたいですよね。

 

どんなに悲しくても、避けられない

死の定め。

 

どんな「死」にでも意味があり、

死に逝く人にも

誰かが遺されることにも

意味があると思います。

 

人はみな、誰かの死に向き合うことで、

「死ぬ覚悟」「生きる覚悟」

していくのではないでしょうか?

 

「不幸」という言葉は使わない!

「死」は全ての人に平等です。

 

長寿を全うした人の死でも、

不慮の事故や不治の病で

夭折した人の死であっても、

私は拍手で見送ってあげたいと思います。