お葬式から帰宅中の夫から電話がありました。

「塩を用意しといて。もうすぐ着くから」

「清めの塩? 要らないわよ。『死』は穢れではないからね」

と私。

「そうだね。 穢れじゃないよね……」

 

最近では会葬礼状に塩の小袋を見かけなくなりました。

昔は、会葬のあとは死穢を家に持ち込まないために、

玄関に入る前に外で、肩などに清め塩をふりかけ

穢れを祓うことが当たり前のように行われてきました。

 

それは遺族の場合でも同じようにしていたように思います。

私も父の葬儀の後、家に入る前に

何も考えずに、家族と塩を振っていました。

 

何も考えずに慣習を受け入れてしまうのって

怖いことですね。

私自身、塩を振らなくなったのはこの数年

のことです。

 

いつからそういう風習が始まったのかは知りませんが。

神道の影響と言われています。

仏教では「死」は

不浄とはされていません。

 

検査薬や薬もなかった時代、

「死」はうつるものと恐れられていたためと

言われています。

 

新型コロナウィルスで世界が震撼している

今なら、昔の人の恐怖も想像できますね。

でも正しく恐れることが大切。

 

死は穢れではありません。

誰もがいずれ100%死を迎えます。

 

亡くなられた方は夫の会社の方で、

私は知らない人でしたが、

二人で故人に献杯をして、

偲びました。

 

清めの塩はいらないと思うだけで、

亡くなられた方への敬意を持てるように

感じます。

 

きちんとした考えをおもちで、清めの塩を使われている方を

批判するつもりはありません。

 

ただ、私は葬儀には清めの塩は使わないように

したいと思います。

 

こうしたことを考えながら

なんでも慣習に従うばかりでなく、

変えるべきことは変えて

次世代に伝えていきたいなと思います。