わずかな就業期間で再びプーに逆戻りした自分は、確かに最初は自分の事を嘆いて途方に暮れていた。
ただそれも数日間の話。
次は沖縄に住みに行くんだということを固く決意していた。
体の異常と、時折押し寄せる精神的なしんどさもあったけど、とにかく沖縄にどうやっていくか、そのことばかりを考えていた。
自分が今一番求めている事は沖縄に行くことだってのが明確になっていたから、以前より気分は前向きだった。
というかやらなければならない事があったから、そこで気持ちを制御できていたのかもしれない。
沖縄に出発する日も決まり、大体の計画がたった。
出発までに少し余裕があったので、その前にとりあえず世界でも見とくかと思い、父親の友人の住むタイはチェンマイに行ってみる事にした。
往復のチケットとパスポートを急いで作って、とりあえずタイへ行く事にした。
宿は父親の友人宅に泊めてもらえるということだったので、着替えだけを準備してタイへと飛んだ。
タイへ行くのも、海外へ一人で行くのも、もちろん初めてだった。
ただこの旅で、一人でも結構何とかなってしまう事を知った。
そして一人旅行が好きになったのも、この旅がきっかけだった。
6時間のフライトを終え、バンコクへと降り立った。
チェンマイへは、乗継が必要だったのだが、どうやって次の飛行機に乗るのか分からなかった。
とりあえず通りすがりの空港職員につたない英語で、声を掛けた。
なんとなくではあったけど、大体理解できて無事に次のステップが見えた。
「なんだ結構話せるじゃん」
と自分でも少し自信がついたのだった。
さらに2時間飛行機に乗り、チェンマイに到着した。
空港で迎えてくれた中年の男性が、細田さんだった。
細田さんはチェンマイのタワーマンションを借りて、悠々自適に暮らしている人だった。
チェンマイ空港から、初めてのソンテウに乗り、中心部へと向かった。
自分が予想していた、田舎な雰囲気は無く、チェンマイの街並みは意外と発達してて、大型のマーケットや、白人の姿が目立った。
チェンマイの初めての夜は、ナイトバザールの広場でビールを飲み、そして高級ホテルの地下のライブハウスで更に酒を飲んだ。
移動疲れと酒の酔いも回り、初夜はくたびれてぱたっと寝てしまった。
チェンマイでは、細田さんのおかげで地元の子とも接する機会が会ったし、色んなところに連れて行ってもらうことが出来た。
一人では行きえなかった所へも行く事が出来た。
最初の何日かは、細田さんの所にいたのだが、自分のしたかったスローペースな過ごし方もしたかったというのと、せっかくだから一人で異国を歩いてみたいというのもあって、ありがたいお気遣いに感謝しつつも、自分は一人街を歩き寝床を探した。
『地球の歩き方』で宿を探し、飛び込みで泊まれるところを探した。
英語なんて大して出来ないはずだったけど、部屋も取れたし、大して何も困る事は無かった。
誰かといると自分より出来る人に頼ってしまいがちだけど、一人だと自分で何とかするしかない。
そんな状況が自分を動かし、何でも一人で出来るようになった。
チェンマイで地元の人と触れ合う事で、色んな事を学んだ。
まだ10代の二人に将来は何になりたいか聞いてみたところ、会社に勤めたいって返事が返ってきた。
日本だったら会社に勤めるのなんて普通に出来ることだったりするけど、こっちじゃそれすら憧れの事なんだなということを知った。
みんなタクシーの運転手したり、飲食店で働いたり、物を売ったりして暮らしてる。
そんな中で会社勤めというのは憧れらしかった。
その子の返事に文化、風習の違いを感じた。
高みを目指しすぎていた自分は、この地でもっとリアルな生活があるということ思い知った。
みんな今を生きているんだと感じた。
生活の為に、今目の前の自分に出来る仕事をすること、それって働く事の原点なのかもしれないと感じた。
そして生活の為に、働ける場があること自体が、幸せな事なのかもしれないと。
大型のマーケットがあったりする中、食料市場は本当にアジアな雰囲気をかもし出していたし、歩道には屋台が出て、埃が舞う中、食事をしてる家族がいたり、日本には無い光景を見る事ができた。
そんな中を一人歩きながら、チェンマイの街の香りを楽しんだ。
目にした事が無いものを見る事、困った状況を自分で打破する事、いろんな意味でこのチェンマイ旅行は成功だった。
違う文化、生活に触れることも出来たし、新たな自分も見つける事が出来た。
アジアなら自分の英語が通じる事も、自信になった。
チェンマイから多くのものを持ち帰る事ができた。
咽かえるほどの暑さのチェンマイを後に、私は2月の寒い東京に戻っていった。