幼少期の私は、すごく人見知りだった。

あまり記憶には無いけれど、よく母親の後ろに隠れていたらしい。


小さい頃は、母親によく怒られた記憶がある。

これはやってはダメ、あれもやってはダメ、色んな事が自分の思い通りに出来なかった。

自分の意志でやってみると、とかく怒られて、ムチを打たれた。

だから母親にすら良い顔をするようになったんだと思う。

本当の自分の思いを隠して、自分のしたいことを隠して。

自分のしたいことをするためには、親の目を盗んで、隠れてやらきゃならなかった。

周りの友達がみんなやってる事が、我が家では許されなかった。

厳しい家庭だったのだろうか。

それが普通だと思ってたから、良く分からなかったが、とにかく制約は多かったと思う。


人からは良く見られていなさい。

人前で失敗はしてはいけません。

争ってはいけません。


そんな事を教え込まれたんだと思う。


だから自分の意見をはっきり言うことが苦手になっていった。

なんでも隠れてやるようになった。

人から良く見られるように、周りに良い顔もしてきた。

勉強もほどほどにして、平均より少し上を取って、出来る自分を演出してみたり、良い子のふりをして怒られないように努めてきた。


本音で打ち明けることが苦手だったから、友達がいても、本気でぶつかることが出来ず、どこか寂しいと感じた時もあった。

意見をぶつけ合うことも出来ないから、本当の友だなって思える人がいなかった。

寂しいと感じながらも、それを隠す為に自分はこういうさばさばしたキャラだからという風に振舞っていたんだと思う。

もっと人と深く接してみたかった。

でもいつもどこかで一定の距離を感じていた。

それは自分が作り出していたものなのかもしれない。


中高生になっても、それは変わらず、仲間と呼べる人達が周りにいるように、そういうコミュニティに入っていった。

だけど、一番目立つ奴にはどうしても頭が上がらず、本音で気軽に接することができず、どこか構えてしまっていたり、嫌われないように気をつけていたんだと思う。

もっと自分はこういう人間なんだって事をみんなに知ってもらえるような言動が出来ればよかったのにと今でも思う。

でも自分にはなかなかそれが出来なかった。

面倒に感じたり、嫌だったりしても、一人にはなりたくないし、仲間でいたいから、無理に付き合ったりしてた部分もあると思う。

自己主張ってやつが下手な子だったんだ。


変にひねくれてみんながはまってるものに同調しないで、自分は別の所に手を出してみたり、人とは違うんだって事を表現したかったのかもしれない。

それが一人を正当化するツールだったんだと思う。


自分を表現できないもどかしさ、人から嫌われたくないという恐怖心、失敗したら恥ずかしいという思い、幼少の頃から色んなものを背負ってきたのかもしれない。

それが大人になってからも自分にまとわりついて離れなかった。

ついに振り切ったかに見えても、逃げても隠れても無駄だった。

教え込まれたこの感覚はずっと自分に取り付いているんだ。


こんな自己を作り出してしまった幼少期だった。