ビジネスマンこそ自身が生きていくうえでの信念醸成のために読むべしというビジネス専門誌のコメントをみて手に取った。日々、仕事でもはたまた生きていくうえでも理不尽さに直面する。しかしこの本にかかれたナチス収容所における理不尽さにくらべたらなんのことはないと感じた。比較して慰めることは卑劣かもしれない。しかし世の中にはもっと悲惨でもっとみじめな人生をあゆまざるを得なかった無数の方がいたことは、決して慰めではなく、それならもっともっと頑張ろうと思える私には、希望の書でもあった。

生きることから何かを期待するのではなく、ひたすら生きることが私たちから何を期待しているかが重要。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、各人に課す課題を果たす義務を引き受けること。

 

いきること一般論ではかたれず、常に具体的なもの。運命が苦しめるのならこの責務をたった一度の人生にかされる責務とするべき。それらの苦しみと向き合い全宇宙にたった一度ふたつとないあり方で存在している意識まで到達すべき。引き受けることこそ二つとないなにかを成し遂げる可能性はある。

 

仕事や愛する人との関係も一回性と唯一性にしばられており、そのかけがえのなさを意識すれば、生きることの重要さ責任の重さに気づく。「なぜ」存在するかをしることで、「どのようにに」いきるかにも耐えられる。

 

収容所の人間を精神的にしっかりさせるには、未来の目的を見つめさせること。人生が自分をまっている、誰かが自分をまっている、と常に思いださせることが重要。

 

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8月、以前所属していたDJ事務所のメンバーが特攻隊をテーマにした舞台を行う。この本を読みだしてすぐさまそのことを思いだし、すぐに電車にのって彼らの練習場所に差し入れともって訪ねてみた。17年間づっと継続して演じられてきた舞台である。理不尽な環境で名もなき無数の戦士たちはなにを思い、どう生きたのか?特攻はまだ、理不尽の中でも戦勝という希望がーたとえまやかしに感じた人がいたとしてもーあっただけ、強制収容所よりよかったのか?しるすべはない。

17年前、DJをやりつづけたいのか?別のなにかをやりたいのか?それはなにか?模索していた佐藤も端役で参加させてもらった舞台。

 

『お前はかけがえのない人生をしっかりいきているのか?』

自分への問いかけのためにも舞台を見に行ってみようとおもっている。