名場面 | 里暮らしの日々

里暮らしの日々

山口県の小さな村で農・学・藝の日々、を綴る

 夕食の時、テレビのコマーシャルに三浦知良さんが出てきた。そこで、“張さん”さんがいつかのサンデーモーニングで「(カズは)引退すべきだ。若い人にチャンスを与えるべき」という意味の発言をしたのを思い出した。

 それも一理あるとは思うが、カズの健闘は人を励ますよね、と話した。それでさらに、今年の甲子園予選で、あの大船渡高校の佐々木朗希投手の件で張さんが「甲子園が夢なんだから」という発言について、「でも、みんなの甲子園の夢のため一人の選手生命を潰してもいいんか」と、張さんへの批判に及んだ。「どんなことになってもいい、甲子園に」という選手もいるかもしれないが、甲子園に出たのはいいが、そのため体を壊してしまった、というとき、彼はどんな気持ちなるのか、を考えると、監督の判断は正しいのだ、と。さらに、落合元中日監督が云っていたように、監督の判断がいいとか悪いとか第三者がいうべきでない、ということ、元ヤクルト捕手・監督の古田さんものちに同様の見解を述べていた。

 そこで、思い出すのは、サッカー。ワールドカップの予選リーグでの対ポーランド戦で0-1ままパス回しをして決勝トーナメント進出をした西野監督への批判が集中したことだった。これも「当事者である監督の判断の尊重」と思った。そのとき、西野監督の判断を支持したのが三浦知良さんだった。そしてジャーナリストの二宮清順氏は、あのパス回しについて某局のテレビ番組で「名場面だ」と高く評価をしていた。直前にはルリホリッヂ監督が解任されたあとを受けて臨んだ西野監督になぜあんなに非難が集中したのか、一般ファンががっかりしてブーイングを出すのは無理からぬことだが、専門家がなべて批判をならべたてたのだ。

 ところが、決勝トーナメントのベルギー戦での健闘には、多くの賛辞が寄せられた。でもそれは、あへてパス回しで時間稼ぎをしてあの点差のまま試合を終わらせた判断の結果だ。

 思い返せば、もっとある。松井秀喜さんが星陵高校で甲子園に出場したとき、高知の明徳義塾の監督が松井さんを五打席連続敬遠で勝負を避け、試合に勝ち、決勝まで進んだ。明徳には学校に全国から非難が集中した。 (松井さんは、そのときのことを振り返って「悔しかったけど、五打席連続敬遠された、それだけの選手だと云うことを証明したいと頑張ってきた」という趣旨のことを述べている。)

 今年の夏も、大船渡高校に非難の電話手紙が集中した。落合監督は、日本シリーズでこれで勝てば優勝という試合、1-0。先発の山井が完全試合で8回まで相手を押さえ込んでいた。その山井を9回、クローザーの岩瀬投手に交代させたことについても、「勝つためには何をしてもいいのか」という批判が起きた。

 この狭隘な社会風潮はなんなのか。反撃される心配のない相手への攻撃が激しく行われる。社会の崩壊の危機を感じるのだ。