昨日から『WEP俳句年鑑』を拾い読みしている。
黄落の地や無一物無尽蔵 千空
天の川わたるお多福豆一列 楸邨
鮎釣や野ばらは花の散りやすく 悌二郎
一句目は坊城俊樹氏の「骨太の写生」、二句目は「坪内捻典氏の「老人の俳句」、三句目は菅野主宰の「篠田悌二郎の文体」という文章から引いた。作者は三人とも昭和の俳人といっていいだろう。押しても引いてもびくともしない確か乾坤、常識を超えた想像力とユーモア、余韻を残す美しい調べ、三句三様で俳句という文芸の器の大きさを感じる。こういう句を読むと、さて自分の俳句はどうなんだろうと、悩む。どの方向もとても真似はできないし、真似をしてはいけないのが俳句だろう。下手な句でも幼稚な句でも格好つけた句でも、それが自分の個性なのだから仕方がないと思う。でも、やっぱり人に認められたいと思いジタバタとする。楸邨にも悌二郎にも骨太の作品はある。千空にもやわなかな調べの作品はあるだろう。あまり堅苦しく真面目に考えるのは止そう。
耕運機の横で猫が日向ぼっこしていた。
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