昨日は新年Web句会の結果発表日だった。新年句会ということもあり、23名115句の参加があった。主宰、ベテラン俳人、中堅どころ、初心者が入り混じっての句会なので、句会の結果は何時ものことだが選は割れる。勿論高点句もあるが一点句が相当の割合を占める。色々な人がいて成り立っているのが世間である。統一してしまおうとすれば何処かのの国のようになってしまう。選が割れるということは文化なのだろう。選を通して近い価値観を持つ人を発見するのも句会の楽しみだろう。
句会に投句するからには高得点を得たい。個人的には散々な結果だったので、負け惜しみになってしまうかも知れないが、昔から「高点句に名句なし」とよく言われる。選も俳人の俳句力を問われるので試行錯誤して採るのであるが、やっぱり疵の少ない作品を選ぶ。無意識のうちに選後評の書きやすい作品に〇を付けてしまっているように思う。選後評が書きやすいということは、公約数の中に納まっているいうことである。割り切れないものは排除される恐れがある。評価基準を何処に置くか難しい問題である。でも、何時の時代でも同じような壁はあったのだろう。そして今の俳句があるのだろう。
因みに私はあの人に採ってもらおうと、ターゲットを絞って俳句を書くことがある。今回の句会そのターゲットが不参加だった。ちょっと残念。
枯葦と薄氷と捨てられたタイヤ。