秋の暮いつもの橋を渡りけり 孝夫
満月と親しくなりぬ橋の上 啓介
橋ひとつ渡りて秋の蟬の中 弘
『野火』令和元年12月号から引いた。
どの句も一句一章に近い句だが、橋に秋の季語を取合せた作品である。秋の暮、満月、秋の蟬、秋の季語の代表選手だ。理性を飛び越えて感性で味わうのが詩なのだろうが、俳句は季語の説明を一切しないので季語の本意を知らないと理解できない一面がある。分かってくれる人が分かればいいという感じか。秋の蟬の句は私の作品なのでコメントは差し控えるが、そういう意味では掲げた句は割と親切かも知れない。味付けが淡泊だから。淡泊とは押しつけがましくないことだろう。
そう言えば私は三十年ほど駅までの間に橋をひとつ渡って通勤してきた。歩いて、自転車で、自動車で春夏秋冬を三十回繰り返したことになる。橋を渡ることで何かをリセットしてきたのであった。写真はコスモスと刈田。