TPPに反対する議員連盟と業界団体が合同で会合を開き、交渉参加反対の声明文を採択したというニュース。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130301/k10015896011000.html


出席者は100人とあるので、大した話しではないとも言えるが、この記事中で注目すべきは、

コレ↓


「原中勝征前日本医師会会長は『TPPは、2000年に及ぶ日本の文化たった200年の歴史の国に壊され、お金万能の世の中になるという国の存続に関わる問題だ』と述べました」


TPPは安倍首相が進めようとしているいわゆるアベノミクスの3本の矢である成長戦略の一つという位置づけだ。


一方で、アベノミクスの1本目の矢である金融政策はリフレと呼ばれる大胆な金融政策。

この金融緩和(の意思表示)を受けて市場は今まさに円安・株高に湧いている。


リフレ政策を支持する人がよく引き合いに出すのが、

「クルーグマンが支持」、「国際標準だ」、「バーナンキが支持」の類の話し。


TPPに参加で「お金万能の世の中になる」とか「アメリカへの従属だ」というなら、似たような理由でリフレ政策に反対する声があっても良さそうなもんだが、そういう声は聞こえてこない。少なくとも短期的にはリフレで利するのは株や為替の運用益を当て込める人だけではないのか。そこから先はどうのか。

中期的には企業業績が向上して賃金も上昇するというが、それは経済学者・エコノミストでも意見が分かれるし、まして一般人に本当にそう上手くいくのかは分からない。(分からないが、クルーグマンンやバーナンキが言ってるからリフレは多分正しいと信じこむ人も多いように見えるが)


金融緩和には賛成もしくは異を唱えないがTPPには反対だという主張は何か胡散臭い、何かおかしいぞと思わざるを得ないのだ。













安倍内閣の支持率、特にアベノミクスと呼ばれる政策に対する支持が高い。


アベノミクスは、3本の矢と呼ばれる量的金融緩和、公共投資拡大、成長戦略からなる。


特に、このうち量的金融緩和はリフレ政策と呼ばれる。

安倍首相をはじめこのリフレを支持する人たちは、これまで大胆な金融緩和に慎重だった日銀をデフレからの脱却を阻んできた元凶と糾弾し、次期日銀総裁の人事はいま最もホットな話題の一つだ。


公共投資については「国土強靭化」とうたう。早い話が公共事業の拡大。かつの全国総合開発計画(全総)の焼き直しとも思えるが、まだそこまでの判断は尚早かもしれない。


成長戦略は、基本的には規制改革による民間経済の活性化がコアとなるもので、実体としてはいわゆる構造改革とほぼ同義と考えていいだろう。


このアベノミクス3本の矢のうち、金融緩和と公共投資拡大は、短期的な景気回復を意図するもので、(経済政策に限り)中長期的視点で日本経済の持続的国際競争力を高めるためには、3つ目の矢である成長戦略が最も重要だ。

安倍政権は、今夏の参院選挙をにらみ安全運転に徹しているが、この3本目の矢こそ、仮に参議選に勝利し自公で過半数を獲得したとしても、実行が最も難しい政策だ。

そもそも自民党の中に規制緩和や構造改革には反対の政治家が多い。医薬品のネット販売をめぐる動きなどはその良い例だ。いうまでもなく官僚(厚生労働省)、業界団体(日本薬剤師会)、自民党族議員という、昔ながらの光景だ。


安倍首相は参院戦で勝利し衆参のねじれを解消し、衆参ともに過半数を得て安定政権としての基盤を固めたうえで、いよいよ安倍カラーを出して本格的な政策実行フェーズに入ろうということだろう。


しかし、高い内閣支持率と参院戦前といういまの状況でまだ大人しくしている自民党内の守旧派(というかこれが自民党の標準かもしれないが)も、参院戦後に本格的な動きを活発化させることになるだろう。これは参院戦が勝利で終わった場合に、より強力なものとなると思われる。


アベノミクスを、あくまでも2本(金融緩和、公共投資)ではなく3本目(成長戦略)も含むものと考えるなら、それを阻むものは野党ではない。

敵は外ではなく中にいる。

大津市の中2男子いじめ自殺事件。


自殺した生徒の遺族が加害生徒と大津市を相手に損害賠償を求めた民事訴訟。

明日17日に大津地裁で3回目の口頭弁論が開かれる。


そこで、加害生徒3名がいじめの事実を否認すると報道されている。


この裁判の行方がどうなるのか、まったく予想できない。

しかし、どういう結末になるにせよ、まったく後を絶たない「いじめ問題」への今後の対応にこの事件が与える影響は極めて大きなものになりそうだ。


この問題が大きく報道され、世論は概ね加害生徒への怒りや被害生徒への同情に集中し、滋賀県警も捜査に立ち入っている状況ではあるが、冷静に考えれば、この民事訴訟に限っていえば、残念ながら司法の場で原告側の主張がそうそう簡単にとおる状況でもない。


まず、そもそも「いじめ」だったのか「遊び」だったのか。

加害生徒側は「遊び」だったと主張。

どう考えてもいじめだったのだろうが、まさに死人に口なし。亡くなった本人が遊びではなくいじめだったと認識していたのかどうか。加害者側はまずそこを突いてくるだろう。これをどう反証するか。


次に、いじめと自殺の因果関係。これも死人に口なし。中2男子はなぜ自ら命を絶ったのか。

遺書がない。

私もそうだが、多くの人はいじめを苦にして自殺したと考える。

しかし、これは推測といえば推測にしかすぎない。


大津市長の越直美は、この訴訟を中断して和解に持ち込みたいらしい。

この市長は弁護士出身。法律の専門家だ。第一回の口頭弁論では、「いつ、どこで、いじめがあったかのか被害者側が立証する必要がある」と主張し、いじめと自殺の因果関係も否定したと伝えられている。

この民事訴訟がこのまま進行しても市側が負けることはないという自信があるのだろう。

しかし、予想外に大きな社会的反響を受けて、和解で幕引きという狙いに転じたようだ。


しかし、遺族としては、越の思惑に乗って安易に和解には応じがたいだろう。


今回これだけの騒ぎになり、かつ警察も捜査に踏み切り加害生徒の暴行・恐喝さらには自殺教唆などが立件される可能性がある。

これがなければ、加害生徒側・市・学校・教育委員会の狙いどおり、被害生徒とその遺族の泣き寝入りという結末で終わっただろう。これでは社会的正義などなきに等しい。


今後、司法はどういう判断をするのか。

警察の捜査はどういう展開につながるか。


本件については、今後の動きを注視したい。


いじめはいっこうになくならないが、放置することの結果はあまりにも重い。


北海道電力の泊原発3号機が5月5日に停止して、日本の原発はすべて停止状態となった。


原発をどうするかの是非はさておいて、最近どうしても分からないことがある。


泊3号機の停止以前から議論になっている福井県の大飯原発の再稼動問題。


原発立地自治体の福井県やおおい町の首長や住民の意向だけでなく、関西電力の株主でもある大阪市の橋下市長が再稼動に異論をとなえ、京都や滋賀などの周辺自治体も巻き込んだ喧々諤々の議論。


今のところは、大飯原発の行方は見えない。何だかんだと再稼動はなさそうだが、そんな中で、まさに周辺自治体の一つである京都府の山田知事の発言。


「脱原発依存の大きな流れを踏まえてエネルギーのあり方について国民的な議論を深める必要がある」


原発問題に限らないが、政治家が良く使う「国民的議論」という言葉。


私にはどうしてもこの言葉の意味が分からない。


「国民的」な議論と、そうでない議論とは?  何が「国民的」でなにが「国民的でない」のだろうか。


政治家だけでなく、メディアも安易にこの言葉を使っていないか。


この言葉を聞く側はどうなのだろう。意味が分かるのだろうか。


この言葉を発する政治家は信用する気になれない。


意味が判然としないが、一見して綺麗にひびくことを言って具体的な判断を避ける。つまり責任を負わない、泥はかぶらない。


そういう意識で使われる言葉のように思えてならない。


政治家や自治体首長にはもっと自らの言葉に責任を持ってもらいたいのだが、、、、