さとうゆうの気ままな音声配信日記 -35ページ目

さとうゆうの気ままな音声配信日記

さとうゆうと申します。
音声配信活動を通じて気づいたことやお役立ち情報を中心に、活動の記録やイベントのお知らせなどを発信しています。
以前は「生き方」についての記事もUPしています。私の経験が役に経てば幸いです。

今日はちょっといつもと違う記事。

でも、書かずにいられなかったから。

ビジネスの話でもないし、少し重たい記事だとは思うけど。

少し自分自身の消化用で書かせていただきます。

 

 

困難にぶつかったときにね。

 

「乗り越えることで成長する」

簡単にいうけど、やっぱり難しいわけで。

 

もちろん、努力で乗り越えられるものもあるだろうし、残念ながらそうじゃないものもある。

 

 

例えば。

「友人の死」とか。

 

1年くらい前の夏、私は友人を1人亡くした。

世の中がオリンピックまであと1年と沸き立っていた中。

絶望をたたきつけられた気分だった。

 

亡くなる前日、私と友人は一緒に行動していて。

いつもどおり他愛のない話で盛り上がって。

いつもどおりバイバイと別れた。

何もかも当たり前で。

何もかもいつもどおりだった。

 

次の日、突然の訃報。

共通の友人から連絡がきた。

「意味が分からない」っていう経験は生まれて初めてだったかもしれない。

 

それまでに祖父母が他界したり、年配の知り合いが亡くなったことだって経験している。

「誰かが亡くなること」は初めてじゃなかった。

 

でも。

前日まで一緒にいた、それも私より少し若い友人が。

別れてからたった数時間でこの世界からいなくなってしまった。

全く理解ができない状況だった。

 

ご親族の意向で、葬儀はお身内だけで行われ。

立ち会うこともできなかった。

後日ご家族とお話する機会はあったが、それっきりだ。

 

そのまま1年が過ぎようとしている。

私はいまだに、乗り越えられていない。

起きてしまった事実は忘れずに。

友人が生きていた時のことは大切な思い出として。

そう思って毎日過ごしている。

 

時間とともに思い出すたびに泣くようなことはなくなった。

でも、ふとした時に頭をよぎる。

 

もしあの日、私と行動してなければ、どこかで運命の歯車は変わっていたのだろうか。

もしあの日、もっと早い時間にお開きにしていたら何かが変わっていたのだろうか。

もしあの日、もしあの日、もしあの日・・・。

そう考えたって何も変わらないのに。

 

不幸な事故でこの世を去ることとなったと友に対して、私は何かできなかっただろうかという思いは。

ふとした時に頭をよぎる。

何ができるというわけでもないけれど。

考えずにはいられない。

 

もちろん。

考えても答えは出ないけれど。

 

だから。

乗り越えるんじゃなくて。

その気持ちと共存していく。

私はその選択をすることに決めた。

 

事実は消せない。

生きていれば「すべて幸せ」というわけにもいかない。

だからこそ共存。

毎日普通に生きて、笑って、それでもふと思い出す友の死に馳せる思いを。

ちゃんと共存させて生きていく。

 

きっと世の中には私と同じように、いやそれ以上に苦しんでいる人がいる。

「乗り越えなきゃ」なんて思う必要はないと私は思っている。

誰もが強いわけじゃないから。

乗り越えることができなくても共存していくことはできるから。

 

そして、きっと誰かが支えになってくれる。

支えてくれる人のために生きていこう。