経験しないと・・苦悩はわからないものなのか・・・。
こんにちは。自治会役員のコーチャーです。
最近、子供は単なるナニのコーイの副産物なのか・・?
と、思いたくなるような事件もあった。
親がいながら、子供は餓死・・。
この国の大人には偏差値が低いヤカラもいるんだ。と、思うとやりきれない。
ところで、自分には親もいるし、そのまた上の尊族も皆知っている。
昔、じいさんには怒られたヨナー・・。
という方も多いことでしょう・・。
もうじき曾祖父さんの17回忌だ・・。
法事をするのも子孫なら・・当然ですよね・・。
今日、ここで取り上げたいのは父親を知らない子供の苦悩・・だ。
友人に、俺のオヤジは妾の子だ・・。という人がいた。だからオヤジの母であるオバーチャンには甘えても、ジイサンのことを話すのはタブーだった・・・と。
それでもまだ、じいさんがどこの誰・・。ということは知っている。
利口なじいさん・・と言う感じではないな・・。とか。
そのくらいまでわかっていると、取り立てて“ルーツ”なんてことはどうでもいい話。
ところが、世の中には『俺は誰の子だ。オヤジはどんな人か?』と、悩む人もいる。
世の中には、『精子提供』で生まれた方々も多い。
自分の存在を母親から聞かされて育った人もいると聞くが、「お前が小さいとき死んだんだよ」と聞かされて大人になったり、戸籍謄本を見て分かったりと言うケースもあるようだ・・。
母親のことを想い、割り切って送る人生もあると思うが、どうしても知りたいと某大学まで押しかけ卒業生と揉めた“ジケン”になるケースもあると聞く。
精子提供が始まった「事由」も理解できる。
しかし、生まれた子供は(もの)ではない。
全てをベールにつつむのではなく、提供者を特定できないまでも、父親をなんとなく想像できる範囲までは開示できるようにはできないものだろうか・・。
悩める者を創り出さない知恵を出せないものだろうか・・。
また、いずれ・・。
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