タオは完全だから、悪のはびこる余地がある。
完全だからこそ、陰と陽の両方があるのです。
(道教の教えより)
人は誰しも優しさを求め、優しくあろうと望みます。
「優しくなれますように」と、どんなに深くお祈りしてみても
偉い先生の話を何千回と聞いてみたところで、
人生の折々の瞬間には、優しくできない自分を発見します。
この宇宙は、陰陽二極の表現の世界です。
プラスとマイナスの数は、どんなときも同じ数だけ存在します。
優しからざるものが、優しさを表現可能にします。
すなわち優しくないものが、優しさを支えていると言えるでしょう。
前回の続きですが、全宇宙と同じ存在である私たちの内側には、
陰と陽、すなわち善と悪が存在します。
宇宙が陰と陽の二極で「完全」であるように、
私たちも、善と悪の二極を持っていて完全なのです。
そのことを認め、受け入れたとき、どんなに安らぐことでしょうか。
「悪もあっていいんだ」。
このことを完全に受け入れたとき、大安心が訪れます。
悪を持ったままで完全です。
あるものをあるがままに純粋に認め、体験できると
いのちの喜びが、あなたを包み込むでしょう。
意識を向けた草花や人から、めくるめく至高体験がもたらされます。
生きていること、いのちそのものが感動であることに気づくでしょう。
そんなあなたは、
もう環境を変えようとする欲求が起こらなくなっていきます。
今ここを、愛せる自分になります。