自分日記

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哲学(A002-7001, A7006) (4 単位 4,000字) 1題選択 112 lines 01.8.28-30.

1. 日常出合う説明と科学的説明の関係について、両者に共通する点と相違する点の
両方を挙げながら論じてください。

初めて接する哲学ないし哲学的な方法は近寄りがたく感じ、一方では、だからこそ近寄
ってみたいとも思う。これまで学んできたり、わずかに知っていたつもりのものや知識の
根拠が、哲学的に考えようとすると、あやふやで不安になる。これまでは、日常出合う説
明は、自分や他人を問わず私的で恣意的なものが多く、また、他の人のあまりにも本質論
や論理に似せた(?)説明を聞くと、頭が痛くなり理解など思いもよらぬものであった。し
かし、おそるおそる用語の難しさや内容に接して、テキストを何度も読み返すとおぼろげ
ながら理解できるような気分になるのが不思議である。とりわけ、日常出合う説明にしろ
科学的説明にしろ、分野がどうであれ、客観的ないし論理的(つまり哲学的な)思索であれ
ば、少なくともその時点で真であったり、真である確率が高いと分かるようになった。
日常的な説明は、日常的な生活では日々行われるものであり、事物の正誤を考えるため
ではなく、ましてや真偽を論じるためではなく、コミュニケーションや人間関係の手段と
して用いられていることが多い。これまで学んだ、また、これからも身につけようと思っ
ている人文科学、社会科学、自然科学、あるいは学際的な科学のそれぞれの全分野のおい
て、分野に応じた独特の用語、説明、理論、体系などがある。その論述は、日常的な説明
によるものでも知を拡張してくれる場合もあれば、科学的説明らしいのに叡智を伝えてく
れないものもある。このような諸問題のほんの一部に限って考えるだけでも、(日常で起こ
る)思い込みによる気分的な懐疑ではなく、哲学的な問題設定をして、なおかつ哲学的な
懐疑を持つべきである。生活全体でも日常の生活でも、このような懐疑と知的な関心から
諸学をより深く探求していくうちに、説明の個別的なものや共通するものが明瞭になる。
例えば、諸学問の中には、ある学問で必然的とされている諸概念、定義、命題などに疑
問が生じ、しかもその真偽がそれらの個々の学問では決定できない場合も明らかになるこ
とがある。生きた人間の解剖や危険な実験に際しては、その学問のの内部だけの科学的な
説明や方法論により、これらの事柄を決定するのではなくて、他の諸学問や日常生活の問
題とも関連させて決定するべきである。「法は悪法なりといえども従わざるべからず」とい
う命題は、法律学の内部だけでその正誤が決定されるようなものではなく、哲学的な問題
として決定されなければならない。一分野でおこなわれる日常的な説明や科学的説明だけ
では充分ではないのである。厳密科学である数学や自然科学の分野でも、飛躍的な発展や
拡張がなされるときには、新しい意味や理念を見つけ出そうとすれば、単にその分野の中
だけで出来ることではなく、他の諸学問、政治、社会、道徳などの諸問題と関連してくる
ために、より全般的で根本的な問題把捉、つまり哲学的な考察が必要となる。
日常的な見方や説明だけでは、色々な問題に対する解決案を発見できず、また、科学的
説明といえども、限定的な分野に基づいた答えでは根本的な解決には到達できない。ただ
し、いろんな物事に対する哲学的な関心は、一方では日常生活の諸問題を通じて触発され
ると共に、他面ではそれは学問一般への反省として他の諸学問の発展に寄与する面もあり、
これらの諸学問の問題とも密接に関係する。日常生活における日常的な説明と学問におけ
る科学的説明は分けて考える場合があるが、この二つは密接な関係にあり根本的には分離
できない。
「説明」とは学問にとっても、哲学する場合にも大変重要なものであるが、「説明とは
何か」については議論が多い。「日常出合う」と「科学的」という条件がつけば、この説
明も簡単ではない。両者ともに哲学的態度と関連しつつ、この修飾語の意味の解釈によっ
ては全く違う性質を持つ。説明は理解を前提にして、森羅万象の各々について述べること
であリ、歴史についてのこともあれば、自然についてのこともある。日常出合うその説明
は正しいこともあれば、間違っていることもあり、また、無意味なことも正誤が不明なこ
ともある。科学的説明はこのような様々な事態にならないように、各々の分野におけるも
のであっても、その中では少なくとも客観性や必然性などを持つものである。
なにが・だれが(主体)、なにを・だれを(対象)、いつ(時)、どこで(所)、なぜ(原因)、な
どに対する答えが説明であり、とりわけ日常出合う説明はそうである。一般に、問いに対
する答えを述べることが説明である。この場合、問いを発する者により、同時に、これに
答える者により、説明が異なってくる。通常、発せられた問題が明瞭であれば、問題につ
いての説明は可能である。科学的説明は、たいてい観察、実験、規則性、確率、原理、定
義、等々により事柄を体系的に述べるが、必ずしも問いを発する人間や日常の人々の理解
を前提にしているとは限らない。ある学問の分野だけの理解や説明であり、ある事実に関
しては真ではあるが、様々な分野から見れば正しいとか良いことだとか言えない場合もあ
ありうる。日常出合う説明は、ふつう平易で理解しやすい面があるとしても、時には述べ
られる対象や事象により、科学的説明にも必要であろうし、帰納と演繹の方法や体系に基
づいたものでなくても必ずしも科学的説明より劣っているわけではない。人は様々な生物
的なまた個人的な面を持ち生活しているので、理論や客観のみに依存しているわけではな
いからである。
ただその反面では、人は知を求める動物でもあり、周囲の環境や、他の人々やその営為
を理解したいとも思うとすれば、人生や世界について科学的説明の方を求めるものである。
知るということは、生活の中で諸々の重要な役割を果たし、色々な場面で様々な意味を持
っている。日常出合う多種多様なの事に関する色々な説明は、重要度や内容など一様では
なく、概念、論理的思考、意識的な考えなどに基づかない場合や、直感や感覚による場合
もある。科学的説明は通常、これとはほぼ逆に論理、客観、理性などに基づき行われる。
知をもたらす説明は科学的だとすれば、知覚、直感、経験、無反省などによるものではな
く、それは無数といえるほどの事象から得られた規則、抽象、合目性、概念などによるも
のである。知識は、複雑で総合的な働きを含むが故に、物事に関する様々な知を必要とし、
同時にそのための最上の方策をも必要とする。事実、目的、理想、目的と手段との関係、
善悪について価値、などに関する知識が必要である。科学的に説明する場合だけではなく、
日常出合う説明でもこのような基準による物事の解明であれば、浅い深いの差こそあれ、
また、知の拡張や知の発見の度合いに違いはあれ、同じように大切である。
人間観、世界観やそれ以外の思索でも、先見主義や経験主義やその他の主義、認識論、
知覚、理念、観念などのいずれによる場合にも、何らかの表現形式によりそれを説明をす
るものである。この中に日常出合う説明や科学的説明も含まれ、そこで体系、真、理念、
目的、善悪、価値などが記述される。誰にでも理解できる内容の場合も、そうでない場合
もあるが、出来れば日常出合うような平易で判明な説明が望ましい。知識には、感覚的な
知り方と理性的な知り方、必然性と蓋然性、先天的と後天的、普遍的と特殊的、によるも
のがあるとすれば、説明方式に照らすと最初の項目が科学的説明になり、後の項目が日常
合う説明となるであろう。知ることや知識は、これだけではなく、他の哲学的な方法論も
提出されているので、その修正や知の拡張は哲学する心にかかっている。
「知る」、「知りたい」というはたらきは日常生活では普通のことであり、知識によっ
ては先見的なこともあれば経験的なこともあるが、それを得るには効率的な一定の方法や
手順によるのがよい。実験的、数学的、帰納的、演繹的、客観的などにより物や事を受容
し、構成し、規整するとよく、しかしこれにも限界があるとすれば、更に深いもっと広範
で総合的な思索を重ねれば修正や補完が可能であろう。日常出合う説明と科学的説明もこ
れに応ずれば、理解され得るものとなる。科学的説明とは、たいてい科学において用いら
れ、事象と法則について述べたものである。事象についての説明は、演繹的、法則的方法
と帰納的、数学(統計)的方法が基本であり、法則についての説明は最も基本的な法則から
演繹的になされるが、その他の議論が多い。分野によっては、因果的、発生的、歴史的、
目的論的、などの定義や説明が基本となっている。しかし、説明は科学的なものだけでは
なく、日常生活で出合う具体的なもの(料理法など)や抽象的なもの(愛、幸福など)もあり、
実に種類が多い。
「日常出合う」と「科学的」とは反対の概念ではないが、基本として対立概念の面もあり、
各々に固有した意味と共通の意味があり、もう一方の共通項である「説明」は各々の修飾語
句にしたがって意味が相違するので、上に論述したようになる。言葉や用語や意味の難し
さは、無矛盾、論理、客観などにより考えようとするほど一層大きくなる。問題として設
定されている「日常出合う説明と科学的説明...」も同様である一方では、大変むつかしい
課題であると同時に個人的に得たものも大きい。

参考文献
沢田充茂『知識の構造-ドグマの克服と科学的思考-』 NHK市民大学叢書11 日本放送協会
沢田充茂編『哲学』 有斐閣
大森・沢田・山本編『科学の基礎』 東京大学出版局
碧海・石本・大森・沢田・吉田編『科学時代の哲学』 全3巻 培風館


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