文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2021/6/22) 渋谷ザニー ミャンマー情勢を語る、民主化から国軍クーデターでまた難民に逆戻りの実情、ミャンマーの市民を何とか支援して欲しい&武田砂鉄 インケツ五輪5者協議の欺瞞を喝破する!犠牲を国民に押し付けて権力者は誰も責任を取らない太平洋戦争再来を許してはならない!

 

 

 

 永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、今週火曜日の大竹紳士交遊録はフリーライターの武田砂鉄さんでした。パートナーははるな愛さん、アシスタントは砂山圭太郎さんでした。

 大竹メインディッシュはミャンマー・ヤンゴン出身のファッションデザイナー、渋谷ザニーさんでした。以前田村淳さんのラジオに出られましたが、今回もミャンマーのことがテーマ、ザニーさんはファッション16年、日本のファッション、芸能で活躍、スーチーさんのノーベル賞の受賞衣装もザニーさんデザイン、70ほど衣装をザニーさん提供、浜崎あゆみさん、Xジャパン、ドラマで多用されている。

 ザニーさん、1993年に8歳で来日、ミャンマーの民主化は88年、父が日本に民主化を願い亡命、父は民主化運動されて、しかし国軍の横暴でタイを経て日本に来られて、ミャンマーはその後民主化、ある程度緩やかでも、政治家には軍人が多数いて、その頃は一時ミャンマーに戻られたもの、2011年に国軍も盛り返して、ザニーさん2012年に日本に帰化、難民として日本に来られて、スーチーさんは被選挙権ありとして、ノーベル平和賞を得て、ザニーさん2013年にミャンマーに帰り、スーチーさんのロヒンギャ問題、今としては間違いと言えるが、軍との関係でああせざるを得なかった。

 軍政はずっと、当時は社会主義勢力弾圧、8歳までの記憶は、3歳から記憶はあり、88年で民主化、軍と銃撃、当時両親もまだ若く、祖父母の家に預けられて、祖母から銃声が聞こえたらベッドの下に行くようにと言われて、父も狙われて、弾圧の記憶は当時からある。そして、ミャンマーに帰国は28歳の時、ゆるやかなミャンマーはいずれ消えるが、ミャンマーの民主化はただのプロパガンダ、あれは民主主義か、スーチーさんの政権で、軍は自分たちの私腹肥やして、軍政との関係、2013年にミャンマーに行くと、国家として不健全、法律が毎日変わり、プリントアウトして町で売る、軍人は制服で無銭飲食、当時は民主主義ではなく、社会主義時代は町はきれいだったが、町は軍部により破壊された。

 スーチーさんの統治、戦争していたものは停戦できて、しかし当時は静寂の中の平和、そして2月1日にミャンマー国軍クーデター、ミャンマーのサッカー選手が日本に来て帰れず、また悪しき軍政にあり、ザニーさんは2013年にミャンマーに帰れて、当時難民から元難民、今は日本国籍、しかし2月1日にまたザニーさん難民に逆戻り、ミャンマーに帰れず、3本指を立てたサッカー選手、弁護士、メディアも彼を支援して、3本指で抵抗にならないとコメンテイターの言ったものもあるが、ここで声を上げないと、今のミャンマーで虐殺される子供たちを見捨てることになる。

 大竹さん、選手たちは監視もきつく脱出困難、支援者と協力で日本に残れたと説かれて、ザニーさん、彼らは大変であり、大竹さん、日本のミャンマーの皆さんが軍政に批判と説かれて、ザニーさん、Z世代は手元から出来ることをやっていて、今は多くのミャンマー人の方が定住、ザニーさんの来日された93年はミャンマー人はほとんどいないもの、日本に亡命、父も当時若く、母と学生運動で出会い、当時は若い生活者、高田馬場にミャンマーの拠点もできて、国際人として日本の方も実情を知って欲しい。大竹さん、日本の入管はえげつないもの、ザニーさん来日時にまだ不明、厳しいと説かれて、ザニーさん、当時の入管は今と場所は異なり汚く怖い。ザニーさん95年に難民申請のことを知り、子供でインタビューは受けられず、当時入管に難民として認められず、ザニーさん2001年、高校生の時に家族で在留資格を認められて、国民難民高等弁務官、グテーレス氏のいたところからこの家族は難民として認定すべきと日本政府に呼び掛けて認められて、ザニーさん、難民としての十字架を背負い、そして2013年にミャンマー民主化で、十字架はなくなったのに、また難民に逆戻り。大竹さん、ミャンマーで800人以上殺されたと説かれて、ザニーさん、路上で殺された数、70人は子供、そして拷問で殺された数は把握されず、軍政の横暴、10年のつかの間の民主主義、殺されている人は毎日増えて国際的に把握は無理。

 はるなさんも3年前ミャンマーに行かれて美しい国だと説かれて、ザニーさん、遺跡で弾圧されて、今日は古都マンドレで紛争、民主化グループと軍部の衝突が今朝あり、現地は大変。市民も武装蜂起、そして混迷はひどくなり、スーチーさんは非暴力を掲げて、しかし国軍はそれで対応できず、国軍は狂気の集団、市民が武装は必然。大竹さんも、ザニーさんがラジオで発した意味を評価されて、ザニーさん、フルムーン基金(https://blog.gqjapan.jp/posts/17775481 ザニーさんのブログを参照してください)を立ち上げられて、最悪340万人食糧危機が危惧されて、弾圧された方、児童施設、医療などでミャンマーに届きます、、ファッションのお話の時間はなかったとするなさん説かれました、以上、ザニーさんのお話でした

 

 武田さんのネタは当然インケツ五輪、5者協議で決められたことがテーマ、昨日IOC他で五輪、観客1万と言うが、数週間で開催or中止→ゴリ押し→観客何人にずらされて、問題点をメディアは指摘せずゴールポストをずらせるのは卑劣。専門家は無観客を提案して、田村大臣、丸川大臣ら無視、別の地平のものにされたのはおかしい。そのくせ、橋本氏は中止の選択肢のないのに、尾身氏が中止と言わなかった、さらに橋本氏、反対論を誹謗中傷、しかし国民の反対は根強く、菅氏も感染拡大だと無観客というが、東京は微増、悲観論、楽観論、五輪でコロナがマシになる指標はなく、わずかに増えるor激増、しかし死者がでるのにゴリ押しは非道だと説かれて、国立感染症研究所は8月に緊急事態宣言と警告、そして5者協議というものの、観客数は日本の提案をIOCが受け入れて、しかしIOCは開催出来たら無観客でもOK、NBCの放映権料があるため、しかしIOCにとってやったらいい、バッハ氏上機嫌。

 ところが、その急激な変化の指標はなく、観客に生徒は別枠、招待客は別枠+観客に酒を入れる、これは二階氏反対するものの、お酒を提供するスポンサーもあるため、この1年半、演劇など大変なのにこの始末、さらに来日したウガンダの選手が陽性なのに、濃厚接触者については自治体に責任転嫁、選手はPCR検査で陰性でも、もちろん水際作戦失敗、空港で感染なら隔離の必要はあり、国と自治体で責任の押し付け合い、しかしこれは容易に想定できるのに政府はしない。菅氏、五輪は緊急事態でどうかと記者に訊かれて、無観客のテスト大会で逃げて、ブラジルの予選は80人感染、とても大丈夫ではない。

 共同文書、9項目の4つに安心安全、コロナ禍での安心安全と馬鹿の一つ覚え、しかし〇〇だから安全はなく、原発の安全神話真っ青、安心は心だが、安全は実証が必要。そしてメディアはデタラメ、選手村で川渕氏、国民の大半は反対なのに仕方ないとしているとデタラメをいい、報道陣も不満はあるが、成功に協力しろというのは大問題!五輪は国家間ではなく選手のものなのに、国威発揚+コロナ禍で精神論、川渕氏もメディアをなめて、しかしふざけるなというメディアはない。後1カ月ならゴリ押し、国民も容認に見えるが、安心安全に根拠なく、メディアも組織委などになめられて黙っているのか!

 さらに、どの国から何人来るかも未定、この数か月で改善はなく、なし崩し開催、たぶん大丈夫かも知れないだとえげつないことになるのに、それでもゴリ押しを見過ごしたら太平洋戦争突入と同じ。大竹さん、責任の所在が余計あいまいになった、犠牲者は国民だと説かれて、武田さん、何かあったら俺の責任ではないというもの、新国立競技場の際も俺の責任ではない、何かあっても誰も責任を取らない、太平洋戦争と同じ。観客を入れて問題なら日本側の責任になる。

 大竹さん、児童出陣、地方だとオファーだが東京ではそれはなく、知人に子供が動員されるという声を説かれて、大丈夫かと憤慨、武田さん、それを問うと、武藤氏、64年の思い出に詐称、こんなインケツ五輪をゴリ押しさせたら日本破綻だと締めくくられました、以上、武田さんのお話でした。