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日本人は何を食べてきたか(6)---Prologue(3-3)

日本人は何を食べてきたか(6)---Prologue(3-3)

日本では二度にわたり肉食禁止令がだされ(675年及び721年)明治維新まで続く訳ですが、海外ではどうしていたか?
<中国・韓国>
ほとんど肉食の制約がありませんでしたし、現在もありません。
中国では 重慶に猫肉料理があり、
韓国では 現在も200万~400万頭/年の犬肉を食べています。
<ヨーロッパで肉食をせざるを得なかった理由>
ヨーロッパは夏期間が短く、夏は冬の食料確保のための重要な時期なのです、肉はヨーロッパ人には極めて重要な食料です。
牛は草の根っこまで食べないので草原が枯れない、また糞尿は肥料として利用できた、つまり人間に都合がよかった家畜。
牛・豚肉は塩漬けとして冬の期間の食料を提供した、その塩漬けの肉の腐敗臭を消すために香辛料が必要になり、これは歴史上大きな影響を与えた。

豚は古来より黒々とした森の中で地面を掘り起こすのに必要で、秋になると団栗の木の実を食べさせて太らせた。

日本人は何を食べてきたか(5)---Prologue(3-2)

日本人は何を食べてきたか(5)---Prologue(3-2)

*そうめん
索餅(むぎなわ)→さくべい→そうめん(江戸時代)、10世紀までは宮中で食したり、僧への養生食だった、いつか七夕7月7日に食べる習慣が民間に広まった、17世紀には上下階級とも七夕に必ず食べるようになった(ふ~ん、土用の丑の日に鰻を食べましょうとは平賀源内さんのアイデアと聞いたが、「七夕にそうめん」はCMで見た事ないな)

*冷や麦・饂飩・棊子麺
小麦粉は2300年前、蕎麦は2500年前に伝来しています、蕎麦は日本固有ではないと言う事を認識すべし

*平安時代は魚料理の全盛期でした、
酢でしめた料理---貴族の常食
万葉集には酢味噌で鯛を食べる話が出てくる、しかし、酢が一般庶民に広まったのは江戸時代、寿司もしかり。

*食事作法の出現
お寺さんでは食事は修行の1つでした、和食のマナーのrootは精進料理にあります。

*料理する側の作法
平安時代にまな板と包丁が現る、まな板にまな箸、まなとは魚の古い言い方、野菜を切る板を切板と呼んだ。魚と野菜を同じまな板で切ってはいかんね。

包丁:古代中国皇帝のコックさんの名前、「包丁よ、余はもう喰い飽きた」とのお言葉を頂き、翌日大きなお皿に蓋をかぶせ皇帝に献上、中は包丁の子だった…

日本人は何を食べてきたか(4)---Prologue(3-1)

日本人は何を食べてきたか(4)---Prologue(3-1)


(3)日本の食文化の源流---1/2
かく書きましたが、縄文・弥生・古墳時代は穀物・野菜・魚介類・肉と、バランスとれた豊かな食文化でした。

675年、重要な意思決定がなされます、肉食禁止令、
721年に駄目押し、
明治維新まで有効、

4~9月まで馬・牛・犬・猿・鶏は食用不可、5畜と稚魚の食用禁止令、佛教を国教としたため殺生肉食禁断の戒律を国策としました。
猪・鹿・雉は山から来る外敵とみなし日常的に食べてよい、取り分け雉は重宝されました、戦国時代には雉に変わり鶴が、江戸時代には鶏を食べる習慣が広まりました、鯨は魚とみなしOK。