私は地域福祉の最前線で5年間働き、高齢者の最前線で1年働きました。その間に、約1年休職していました。

 働いていて違和感を持つときがあります。それは、「あの人絶対精神やで」や「統失の人やから気をつけな」などの言葉が日常的に使われていることです。

 私が病気な事は職場のみんなは知っていますが、「統合失調症」という診断があることまでは、上司1名しか知りません。

 「バリバリの精神やからな」や「精神やから施設もとってくれへんやろ」、「どうやって病院に入院させよう」と頭の上で話が飛び交います。

 職場の人達は、決して「差別」しているわけではありませんし、直接本人に言うこともありませんが、福祉の最前線でもそのような実態があることに、とても違和感を感じています。

 はっきり言ってしまえば、「影でそのように言っている人に、自分の人生をとやかく言われたくない」と思ってしまいます。そのようなことを言う人は、精神の病気がなく、はっきり物事を言う看護師や強気で言いたいことをそのまま言ってしまうような人が多く、難病や精神病を抱えている人は、軽はずみにそのような発言はしません。

 また、普段からとても優しい人でも、職場という一種の閉鎖的な空間では、「朱も交われば赤くなる」ではありませんが、精神病に対する合理的配慮は感じられなくなってしまいます。

 自分自身、嫌な思いをしているとまでは言えませんが、病気への理解や病気の辛さが、全く理解できていないなと感じます。そのような人が支援者として前にたち、本人の代弁者や支援することに違和感があります。

 また、何か問題な行動や言動があれば、勝手に「あの人精神っぽい」や「あの人完全に精神やで。病名つかんかな」と世間一般と違う人たちを「精神病」でくくりたがります。そして、判断能力に問題があるとレッテルをはられます。

 支援者の多くは、長年福祉に携わっていても、気持ちに寄り添うのではなく、「このように持っていきたい(方向づけたい)」と思っており、本人の利益を最優先に考えているや判断能力が不十分なので、権利を守るために支援していると言うが、はっきり言ってこれらは綺麗事であり、腹の中では「障がい者」や「精神病」などを下に見ている、もしくはバカにしていると感じられる。

 障がい者に対する制度や法律は、だんだんと整備されていき、社会でもバリアフリーや合理的配慮が求められ、誰にでも優しい町作りがなされようとしており、障がいである事での差別もしてはならないと国民に法律で訴えかけている。

 しかし、一般的に見ても、職場を見ても、「差別や偏見」・「合理的配慮」・「バリアフリー」がどこまで進んでいるだろうか?人々の意識にそれほどの変化があっただろうか?病気になって約20年になるが、それほどの意識改革があったとは思えない。

 職場で精神病に対する偏見的な発言があったら辛い。かといって、それをなくして情報共有を止めることもできない。精神病の人って何か悪いことしたんですかねぇ~?私は人殺しや強盗などの大きな犯罪はしたことありませんが、子どもの頃からを振り替えると、小さな悪いことはたくさんしてきました。それの罰がこれですか?人は大なり小なり悪いことはしてると思いますし、どちらかというとさほど悪いことはしていなくても、障がいになるときはなると思います。

 長々となりましたが、何が言いたいかと言いますと、「福祉の最前線でも、どんなに勉強していても、当事者の気持ちが分かるのは当事者同士が一番であり、障がいを見くびらないで欲しい」というとです。それは福祉職だけでなく、一般の人にも言えることです。迷惑な人=何かの障がいを抱えているというと考えが根強い。その人の個性や特性、性格的なものは無視される傾向にある。

 社会に偏見や差別がなく、障がいがあっても一人一人が尊重され、人権が守られながら、自分の個性を発揮し、自分らしくいきいきとして生きられるような社会であって欲しいと切に願う。

 私の体験談などを講演することとできますので、もし講演依頼のある方は遠慮なしに言っていただければと思います。私は近畿地方に住んでいますので、遠い場合は交通費は頂きたいです。それでは、今日も1日素晴らしい日でありますように。