私はよく夢を見る子どもだった。寝ることがすごく楽しみで、今日はどんな夢を見るのだろうとワクワクしていた。夢の内容はさまざまで、好きな子が登場する夢や魔法の国のようなファンタジー系の夢、崖から転落するような怖い夢もあった。

 22歳で病気になり、睡眠障害が起きたが、当初は睡眠薬は用いず、非定型精神薬で眠ることはできていたが、約15年間お酒と一緒に服用していた。今にして思えば、お酒と精神薬の併用はとても危ないことなので、もし併用されている人がいれば、止めることをお勧めします。

 この15年間の夢は少しずつ変化していきました。初めの頃は「これは夢だな」と分かる夢でしたが、徐々に夢を操作できるようになりました。操作とは見たい夢を見れることではなく、夢を見てから俯瞰する自分がいて、その自分が夢に手を加える感覚です。また、ファンタジー系の夢では、ハリーポッター顔負けの不思議で素晴らしい夢を見れていました。あまりに素晴らしく、ワクワクドキドキする夢なので、本に書けたらベストセラー間違いなしと当時は真剣に思っていましたが、夢は夢なので目覚めると大半は忘れてしまっていました。

 二度目の再発で薬が変更するようになってからは、また夢の質が変わってきました。まずは、夢と現実の狭間でずっと夢を見ているような感覚になりました。例えば、起きそうな時になかなか布団から出れないような場合、頭の中に嫌な出来事や心に引っ掛かっていることが、夢として何度も出てきました。なので、朝起きてからも、すごく嫌な気持ちのまま目覚めることが多くなりました。いうなれば、潜在意識が顕在化され、嫌な気分になるような夢であって夢でない、とても変な感覚の夢でした。

 なので、起きたときの気分はどんよりと暗く、このままではいけないと、起きたときにポジティブになれるように、「自分はラッキーだ」や「大丈夫ちゃんとできている」と意識的に自分に言い聞かせるようにしました。マイナスな潜在意識が表面化したままでは、自暴自棄になったり、自分を矮小化してしまい、自信が持てないようになります。このままではいけないと考え、実践したのが、朝起きるまえや寝るまえに、自分で自分を褒めることです。そうすると、目覚めたときの気分も清々しかったと記憶しています。

 三回目の再発で睡眠薬を飲んでからは、また夢の質が変わりました。今回は、ほぼ夢を見なくなりました。あれだけたくさんの夢を見ていたのに、半年に一回見るか見ないかくらいまで見ないようになりました。理由として考えられるのは、お酒との併用を止めたので、深く眠れるようになったことやレム睡眠の時には夢を見ないで目覚めるようになったからだと思います。夢を見ず目覚めるので、私の睡眠パターンは初め4時間ほど寝て目覚める、その後1時間から1時間半ずつ寝て目覚めるといった、あまり熟睡できていない状態です。

 夢を見なくなって2年ほどが経ちますが、最近少し見れるようになりました。しかも、夢を俯瞰して操作することもなく、無意識が顕在化し自分を責めることもなく、ただただ純粋に子どもの頃のように、楽しみながら夢を見ることが出来てきました。これは、「心が安定」してきているのだと思います。

 「夢中」とは、夢の中にいるように、楽しんだり、ワクワクドキドキしたりして、周りが見えないくらい、その事に集中していると状態の事を指すと思います。夢の内容が悪夢であったなら、夢の中なのでよしとするか、現実世界にも影響しそうと感じるかは、人それぞれと思います。
 
しかし、井上陽水の歌詞にもあるように、「探し物は何ですか?見つけにくいものですか?鞄の中も机の中も、探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか?それよりも僕と踊りませんか?夢の中ヘ夢の中ヘ行って見たいと思いませんか」とあるように、現実の理想や欲望、悩みの答えや生きる意味、癒しの場や追われない日常など、現実世界には色々な困難や挫折、心がおれそうになることが多々あります。しかし、そんなものを探したり、見つけたりして答を探すよりも、「夢の中のような夢中になれるものを探したり」、はたまた「ワクワクドキドキする夢の世界で、心が安定できる場所に飛び込むか」、あなたにとってどちらが幸せと問われているような。この歌には、そんな想いが込められているような気がします。

 もう一度、子どもの時を思い出して見よう。何に対してもドキドキワクワクして、見るものすることが新鮮であり、いつでも夢の中にいるような気分だったことを。大人になって忘れてしまった何かを、子どもはみんな持っていると思う。そんな子どもたちの元気ではつらつとした姿を見て、とても幸せな気分になり、「夢の中」に連れていってもらえるような気がします。そんな子どもは宝なので、大人たちがしっかりと守ってあげて、その子の中にある光るもの(夢中になれるもの)を大人たちの手で奪うのではなく、上手に育んでいけるようにしてあげることが、大人の務めだと思いました。