病気が再発して、約2ヶ月間の入院となり、その後8ヶ月ほどの自宅休養を経て、去年の2月から「お試し就労」として週に3回から働き出しました。

2ヶ月目の3月は現在の部署で、週5で働きました。そして、4月に正式に辞令が交付され、地域支援課に配属されました。

今の職場は「上司がサービス残業はしなくていい」という考えなので、みんな定時のチャイムと同時に帰宅します。私は通勤に片道1時間ほどかかるので、定時に帰れることは、子どもとふれ合う時間が長くなるので、とてもありがたいことです。

この1年間は、本当に学びの1年間でした。新しい部署なので、全てを1から教えてもらわなければならず、右も左も分からない私に、係の人達はみんな優しく丁寧に教えてくれました。
認知機能障害で物覚えが悪く、理解力の乏しい私ですが、自分なりに無理をしない程度に、習ったことを休日に復習したりはしました。

でも、朝の朝礼で前日にあったことの報告を各自しますが、人の話だとその相談者さんの名前や内容がいっこうに入ってきません。少しでも関わりがあったり、その人のことです話をしていると何となく思い出すこともあるのですが、基本的には自分が関わっている人しか思い出せません。さらには、自分が関わっている人でさえ、進捗を忘れることもたびたびあります。

しかし、それでも大きなミスもなく、何とかもうすぐ1年になります。いつも私の事を気づかい心配してくれる「家族」、いつも気軽に話しかけてくれる「職場の人達」、縁が合って出会う「利用者さん」や「他機関の職員さん」、今はコロナで合えないけど、ラインなどでつながっている「友達」。そんな、色々な人達に支えられて、やっとこの場所までこれました。

上司は、「あんたの目標は、毎日元気に来ることや」と言ってくれたり、また別の上司は「1年間様子をみますので、ゆっくりでいいからやっていってください」と言ってくれました。毎日元気に来ることは、挨拶を大きな声ですることを意識したり、仕事に没頭せず他者とのコミュニケーションを大事にしたので、クリアーできていると思います。もう一つは、1年間で自分がどれだけ成長したかは分かりませんし、上司が望む水準まで出来ているかの自信もありませんが、自分の中では「よく1年間頑張った」と誉めてあげたいです。

3月末に人事異動があります。私たちの課からは一人も辞めていませんが、他の課では正職員が2名、非常勤が3名退職し、病欠が1名、育休が2名出る予定です。なので、大きく人事異動がなされる可能性があります。

今の課は本当に心地よく、自分らしくいられる場所なので、病気前の課に戻るとなれば、またしんどくなるかもしれません。また、今の課に在籍できても、上司が変われば雰囲気も代わり、心地いい空間ではなくなるかもしれません。

なので、今は先の分からないことを心配するのではなく、どのような人事になっても自分らしくいられるように、休職中に学んだことをいかしながら、天の采配をゆったりとした気持ちで待っておきます。そして、もし私の課の誰もが異動がなければ、大いに喜び、自分のスキルアップに努めていきたいと思います。もし、異動になれば、それは受け止め、今までに学んだ「嫌いな上司との付合いかた」や「他の職員とのコミュニケーションの取り方」などを思い出し、自分の居場所にできるように努めていきたいと思っています。

病気で働いている方々、本当によく頑張っておられるなと思います。そこには色々な不満や葛藤があると思いますが、それでも1日1日を乗りこえて、今の場所までたどり着けたと思います。これからも自分で選択しながら、より良い道へとつながる希望の光を探していけるように、毎日を大事にして生きていってください。

働いておられない方も、色々な事情でそうなっていると思います。働くだけが人生ではないと思いますし、働いたから偉いというわけでもないと思います。しかし、希望の持てない苦しみの闇の中にいたとしても、必ず明日へとつながる希望の光はあるので、もし自分の事しか見えていないのであれば、周りの支えてくれている人達に目を向けみてください。そして、生かされていることに感謝し、毎日に感謝し、周りの人達にも感謝できれば、人生が好転していくと思います。

アウシュヴィッツから生還した精神科医のフランクルの言葉に「あなたがどれだけ人生に絶望しても、人生があなたに絶望することはない」というような言葉があったと思います。人生側からすれば、「あなたを見捨てることはない」と言っています。過酷なアウシュヴィッツの生活の中でも、日々の笑いや夕焼けの美しさに感動したりと、自分の心までは誰にも犯されることはできません。

働いている人も働いていない人も、自分の心に正直になり、美しいものを美しいと感じられる喜びやユーモアのある会話や笑いを楽しみ、たとえ感情鈍麻になっていても、世界にはまだ知らない素晴らしく素敵な世界が広がっています。ただ気づけていないだけです。私はこの病気を発症して、約20年になりますが、今では美術鑑賞やクラシック音楽、時計や車、舞台やミュージカル、コンサートやサーカス、プロレスや格闘技、サッカーや野球、登山や釣り、ブログやインスタグラム、ウォーキングやスポーツ、絵描きや骨董探し、映画や読書、草や花、動物や鳥など、色々なものに触れてみようと考えました。そこで、本当に自分の好きなものを選び、美しいものや感動できるものを探し、日々のストレスを忘れられるような、色々な世界を知りたいと思いました。

自分の心を自分で傷つけたり、犯したりするのはやめましょう。自分の心は自分だけのものであり、誰にも犯されない聖域です。心の栄養になるようなものが世界には溢れているので、ぜひ自分からそれをチョイスして、感情を少しでも豊かにしましょう。

「人生はあなたを見捨てません」。なぜなら「あなたは生きているだけで素晴らしい存在だからです」。