標題の件について、私は「自分の心が癒されること」だと思う。なぜなら、私たちは幼少期から心を傷つけられてきたからだ。時には、言い返したかっても言えずにいたり、はたまたイジメの対象になったり。さらには、自分のしてしまったことをずっと忘れられず、後悔の念にさらされたり。それを誰にも言えず、一人で抱え込んでしまったりと、常に自分の心が満たされない日々をおくってきた。
脳科学者などは、「心なんてものはない。全部脳で起きていることだ」というが、私は「心はあると思う」。なぜなら、悲しくかったり、せつなかったりすると、胸のあたりが苦しくなるからだ。心がなければ、死んだらそれで消滅してしまうが、「心」があれば、肉体は死んでも「心」は残ると思う。だから、「心」は目には見えないが、確かに人間には備わっていると思う。私はそう信じたい、
「心」というものがあって、それを癒してくれる人が周りにいれば、徐々にではあるが、事態は好転する。徐々にというのは、自分がその人に対して心を開けるかということで、時間がかかるものと思われる。心を癒してくれるのは、好きな人であったり、自分の困り事を助けてくれる支援者だったり、家族であるかもしれない。私は小学生の高学年から中学二年まで、言葉や暴力のイジメを受けていたが、「学校で好きな子」がいたから、最悪の毎日でもなんとか乗りこえられた。「好きな子」が私の癒しになっており、告白もできなかったが、この子の存在が私の頭の大部分を占め、イジメで辛かったことも、そのこの子のことを考える時間の方が長かったので、心にはいつも心地のいい日差しが降り注いでいるようだった。よって「心が癒されれば」大抵のことはのりこえられる気がする。
しかし、心の傷が癒やされず、誰も信用できなくなり、「心がいやされない」人も多いと思う。そのような人達は本当に辛いと思う。頭では嫌な思い出が反芻され、心の中は「もののけ姫のデイダラボッチ」のように憎しみや悲しみ、怒りや恐怖など、マイナスの感情に支配されているかもしれない。心がそのような状態では、なかなか人を信じれたり、人に対して心を開くのは難しいだろう。
なぜなら、心の傷が深く、心の水も枯渇し、人からの優しさや愛情、支援の手を差しのべても、素直にその手を握ることはできないからだ。でも、すごく弱くなっている「心の声」を素直に聞いてみて欲しい。「私(僕)はすごく悲しいんだ。こんな生活からは本当は抜け出したいんだ。誰か助けて欲しい。神様お願いします」。こんな声が聞こえてこないだろうか。私は病気になり、陰性症状の時やうつ状態、認知機能障害で苦しかった時は、よく神頼みをしていた。神頼みが講じてか、当時母親が何かと気づかってくれたからか、病状はどんどんよくなっていった。しかし、心は癒されない。
心が癒されたと感じた瞬間は、28歳位の頃にアルバイトで知的障がいの人達とふれあい、あの人達の素直で純粋で綺麗な心に触れることができたからである。あの人たちは本当に天使のように私の心を癒し、救ってくれた。その人達の前では、一般の人と違い、自分のコンプレックス(病気など)を気にしなくてもいいようになった。さらに妻と出合い、その愛情の深さと優しさと面白さで、私の心にあるがんじがらめに閉ざしている心の鎖を、少しずつ時間をかけて一つずつ鍵を外していってくれた。お陰さまで、今では妻のことを心から信頼できるようになった。深い愛情に触れたとき、「心が癒され」心に優しい水が注がれていく感じがする。なので、心の扉を閉ざし、何重にも鍵をかけた状態では、どのような人の愛情も感じれないかもしれない。なので、心の叫び・声に耳を傾け、素直になって人の優しさに気づけるように準備をしておくと、いざ手を差しのべてくれる人が現れた時にチャンスを逃さず、その手をつかめると思う。必ず、生きていたら転機がやって来ると思うので、その時に少しでもいいので「心が癒される」ように、人に対しても恐怖心やコンプレックス、何重にもしている仮面を取り除き、ありのままの自分でいいので、心を解放して欲しい。「心が癒される」と日々や生きていることに感謝でき、周りの人達にも感謝できるようになる。もし、毎日をダラダラ生きていると感じるなら、それすらも療養中と思い、「今はゆっくり休む時期」と冷静に判断でき、今を生きている何気ない1日に感謝できるかも知れない。経験上、何事も「当たり前」と思わず、何事にも「感謝」する生き方の方が、心が癒されると思う。
特に、引きこもりやうつ病、統合失調症 などの病気を持っている人は、「心が癒される」ように自分の気持ちの持ちようを変えていく必要も時としてあるだろう。それにより、よい波長が生まれ、「心が癒される」人と巡り合う可能性が高くなる。「心が癒されれば」呪縛から解放され、過去を見るのではなく、「今」に集中できる。自分で心を癒されない人は、人の助けや愛情によって癒してもらわないといけない。「今」に感謝し生きてさえいれば、人生から手は差しのべられる。また、自分から人生に手を差しのべてもいい。「心さえ癒されれば」大抵のことは上手くいく。よって、一番大事なことは「心が癒される」ことと考える。少しでも共感してくれたら、「いいね」を押してください。よろしくお願いします。