生きる意味って何だろう?みんな生きる意味を考えながら、今日・明日と生きているのかなぁ~。忙しく仕事をしている人などは、会社の利益を上げるためやマジでこの世を良くしたいと思いながら、毎日を目標に向かって生きているのかなぁ~?社会不適合と言われるような人の生きる意味って何かな?仕事をしていない、ずっと実家で引きこもっている、他者とコミュニケーションが取れない、いろいろな病気や障がいがある人は、なんとなく毎日を過ごしているだけなのか。そんなはずではない。
病気と戦い、障がいがあっても前向きに生きる、コミュニケーションが取れなくも自分の道を自分で選択する、心に傷があり引きこもっていても誰かがさし伸ばす手をつかみとり、現状を変えたいと思っている、仕事がなくても親の介護や主夫などの役割がある人を多く見てきた。
【生】の語源を調べると、「草が生える様子」とある。生きるの言葉には、「生命」、「生活」、「生きる」、「生き物」、「誕生」、「生死」、「生存」、「生徒」、「生成」、「生態」、「生産」、「生息」など様々な言葉があるが、どれもこの世に生まれ、命の尊さを表しているように思える。生きるとは、ひとつには命を輝かせ、たった1人のかけがえのない自分を慈しむことではないかと考える。
でも中には、自分を卑下し、または他人を軽視し、ただ社会に対して何の生産性もなく、毎日を無意味に過ごしていると感じている人もいるかも知れない。または、病気や障がい、無気力や生きる意味を見いだせず、「苦しい」、「辛い」、「むなしい」、「絶望」、「妬ましい」などの感情を抱え、命を輝かせることができない人もいるかも知れない。
しかし、【生】の語源は「草が生える様子」なので、もうこの世に存在している。生命として誕生している。草ののびかたは人それぞれでも、この世に【生】をさずかったことには代わりはない。なので、生きる意味の2つ目には、この世に誕生しただけで、誰しも特別な存在であり、生きているだけで価値のある存在ではないかと考える。
「生死」と表されるように、生きることと死ぬことは表裏一体である。どんなに今日まで幸せでも、明日死ぬほど辛い現実が待っているかも知れない。明日のことは誰にも分からない。逆に今が死ぬほど苦しくても、明日希望の光が差し込んでくるかも知れない。【生】は選べないが、【死】は選べる。【生】に表される全ての命輝く言葉たちを持っても、明日に希望を持てないとき、生きているだけで自分には価値があると思えないとき、人は「生きる意味を考えながら絶望し、生きる意味を見いだせず、死の影が近寄ってくる」。でも、声を大にして言いたい。どんなに苦しくても死は選ぶな!!死は選べるけど、絶対選ぶな!!選ばれず産み落とされた生命にしがみつけ!!自分では選んでいないけど、神様が選んで産み落としたかも知れない生命を大事にしろ!!ちょっと宗教ちっくになってしまったけど、神様に選ばれた自分を、自分の判断で死を選ぶな!!苦しかったら泣けばいい。大声で泣き散らかしたらいい。人の目など気にせず助けを求めたらいい。誰もいないところで心のままに叫んだらいい。一歩を踏み出そう。明日に希望を持ちながら。生きる意味の3つ目は、「自分では死なない」ということ。なんしか生きる。どんなことがあっても生きる。誰が何と言っても、どんなことが起こっても自死はしないと自分で自分に言い聞かせることが、生きる意味へとつながる。
【生死】というマイナスに聞こえがちな言葉が、【死】を選ばないことで明日へと続く希望の言葉へと変わる。天から死が降りてくるまで【生】にしがみつけ。【生】は選べないけど【死】も選んではいけない。
今回は、「生きる意味」について考えてみたが、まとめると生きるとは、①つめは、たった1人の自分を慈しむこと、②つめは、生きてるだけで価値があること、③つめは、死を選ばないということと考えた。
これらの「生きる意味」をベースにして、人生にあらゆるスパイスを加えながら、自分だけの物語を作っていけたらいいと思いませんか?僕はこのように生きていきたいと病気になって思うようになりました。人それぞれ「生きる意味」も人生も違うと思いますが、何かの参考になれば幸いです。