薬を勝手に中断し、幻覚妄想が現れ、2回目の入院となったことは、以前に記載した通りです。そこから閉鎖病棟、一般病棟を経て、今回も40日ほどで退院しました。

   薬をDr.の指示なく服用しなくなったのは、頭の回転が遅くなることと、感情が湧いてこず、自分が自分でない感覚に陥ったからです。退院してからもメインであるリスペリドンは必ず服用するように心掛けましたが、できるだけ量は減らしたいと、まだ心の中では思っていました。この頃の服薬は、リスペリドンとセロクエルのみだったと思います。また後日詳しく記載したいと思うのですが、私は極度の不眠症であり、セロクエルとお酒を大量に飲まないと寝れませんでした。睡眠薬はあまり効かず、セロクエルとお酒で眠る生活を何年もしていたため、当時の医師は一緒に飲んでも、特に「悪さ」をすることもないだろうと判断し、薬とお酒を飲んで眠ることを容認してくれました。

   社会福祉士の資格取得のため通信制の大学に通っており、そのスクーリングで再発しましたが、単位取得のため退院してから、知的障がい者の施設へ実習に行くことになりました。そこで初めて、知的障がいの人達と深く関わることができ、始めて自分の「居場所」のようなものを感じました。それは、知的障がいの人達の純粋で真っ白な心に触れ、私の心がとても癒やされたからです。障がいがありながらも、自分の気持に真っ直ぐであり、実習生の私にもよく話しかけてくれるなど、他者と壁を作らず皆さんが私を受け入れてくれたと感じました。指導係の人に「話せない人も実習生が来たら喜んでいますので、積極的に話しかけてみてくださいね」と言われたことを思い出します。指導係の人は毎日利用者さんを見ているので、ちょっとした表情や仕草で分かるものなのです。その約1ヶ月の実習が本当に楽しくて、統合失調症になってから初めて心から楽しいと思える時間でした。

   精神障がいと知的障がいでは特性も違いますが、何か共通するといいますか、通ずるものがあるように思いました。それは、同じ障がい者だからこそ差別したり、偏見を持ちにくかったからだと思います。偏見や差別的な目で知的障がいの人達を見ないので、私にはこの人たちを支援することが天職だと思い、そのような所で働きたいという気持ちが湧き上がりました。

   私は障がいを持っていない一般の人々に劣等感を持っていましたが、知的障がいの人々には劣等感を持たずに、心を開いて接することができた点も、この仕事を選ぼうと思った大きな要因です。このようにして、平成20年にアルバイトとして知的障がい者施設で働き、平成21年に同法人で正社員となりました。私が精神疾患を患っていることはクローズにしていました。

   今回皆さんにお伝えしたい事は、人生には大きな波や流れがあり、一日一日の積み重ねが現在を作るということです。詳しくは後日に記載したいと思いますが、私は病気が発症しても、大学を卒業し、通信制の大学にも通い、実習で知的障がいの人たちにも出会え、後に国家資格を3つ取得しながら、自分の進むべき道のようなものが少し見えたりしました。それは偶然ではなく、何か不思議な力が働き、周りの人たちにも助けられながら、正社員になれたと思っています。本当に運も良かったです。調子の良いときは運も味方にできると思います。

   そのためには、自分の利益や特のために動くのではなく、「人の役に立ちたい」や「社会貢献したい」などという気持ちが強かったために、人や天から導かれたと思っています。病気になって苦しいことだけではありません。人の役に立てたりなど、喜びを感じられることが、きっと誰にでもあると思います。いつからだって遅くはありません。あなたはあなたの場所で自分らしく輝いてください。

   今、苦しく辛い気持の人もいずれ道は開かれると信じてください。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。