自分の心の中には、悪いささやきをする心とそれを抑制したり、良いささやきをしてくれる心がいると感じた事はないでしょうか。例えばダイエットなど何かに取り組む覚悟をしたとしましょう。しかし、つい甘いお菓子を食べてしまったり、何らかの理由で覚悟したことが出来ないとします。

   すると心の中でお菓子を食べてしまった自分や何かを出来なかった自分を「悪い自分(心)」と考えてしまいがちです。そして我慢したいのに耳元で悪魔が「食べちゃいなよ」や「やらなくていいよ」、「我慢しなくていいよ」などささやく場面はよくマンガやテレビで見かけます。そこへ良い天使の心がやってきて、「食べたらダメだよ」や「やらないといけないよ」と制止したり、「悪魔に負けたらダメだよ」など応援してくれたりもします。

   このように、頭の中で良い心と悪い心の自分がいて、戦わせてしまうことはないでしょうか。そして、悪い心が勝ってしまうと、後で後悔して「自分はなんて情けないんだ」や「自分は何をしてもダメだ」と自暴自棄になった経験はありませんか。また、良い方の心が勝つ時は、「よくできた」と自分を褒める場合もありますが、せっかく我慢したり、成し遂げたりできても、それを当たり前と思い、自分を褒めずスルーしてしまう時もあるのではないでしょうか。

   しかし、そもそも悪い心・良い心と決めつけていいのでしょうか。悪いと思っている心も実は、「○○したくない」や「○○いやや」という心の動きや、怒る・悔しいといった感情の一部であり、良いと思っている心も「○○を頑張ろう」や「私ならできる」といった励ましや、幸せや喜びといった感情の一部として捉えることができます。

   ですので、そもそも悪い心も良い心もなく、今まで思い込んでいた,悪い心も良い心も全て含めて、あなたの心の一部になります。ですので、怒ったり・悔しくて涙が溢れたり、「○○がイヤだ」という感情は普通のことでもあり、決して悪い感情ではありません。むしろ、自分のそのような感情を自分の持つ心の一部と捉えられたら、嫌な気持ちや怒ったり悔しい気持も、自分の内から出ている一部として受け入れることができるのではないでしょうか。そして、その悪いと思っていた感情も、実は悪い感情ではなく、ごく普通であり、むしろその感情に気付けたことが、自分の心としっかり向き合っているといえると思います。

   そして、その嫌な気持ちや怒ったり悔しい気持を、相手の立場を考えながら直接言えたり、家族や友人へ話すことで、少しスッキリすることもあると思います。また、良いと思っていた心は自分を励ましてくれたり、よからぬ行動に「待て」をかけてくれる心として捉え、その心も自分の一部であり、大切な心の動きであると思います。

   つまりは、悪い心も良い心もなく、全てが自分の心の持ちようであり、その心の声をしっかり聞きながら、自分が今どのような選択や行動をすることが正しいかを、ちゃんと判断する必要があります。そのためには自分の心を知り、自分の心に正直になり、例え嫌な気持ちが全面に出ても、相手や自分と納得出来るまでに話し合い、お互いの気持ちや考えをわかり合いましょう。そして、どんな自分でも許せるようになることが、ありのままの自分を受け入れ、自分を好きになって生きていく第一歩に繋がると思います。

   私はすぐに「自分はダメな人間だ」と思ってしまいがちですが、自分をダメと思う気持ちは、悔しさや情なさ、怒りや劣等感の感情であり、それを「悪い感情」とせず、この感情も心の一部であり、受け入れ認めながら自分と向き合い、「悔しさ情けなさをバネに、この先どう生きていくか」や「怒りや劣等感をどう解消していくか」に焦点をあてて生きていれば、暗い気持も少しは晴れ、前を向いて歩いていけるのではないでしょうか。

   ただし、焦りは禁物です。3歩進んで2歩下がるくらいのゆっくりなペースで人生を歩んでいき、徐々に自分の心と向き合い正直に生きていれば、「今の自分に満足」していくことができるようになり、いつでも自分の心が自分の味方でいてくれると思えてくるはずです。

   悪いと思っていた心も感情の一部として思えたら、生きるのが少し楽になるかもしれませんね。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。