前回、通信制大学のスクーリング中に、東京で友達と飲んでいて再発した話を掲載させていただきました。そこから入院までとなぜ再発したのかを記述します。

  私の場合、初回と今回の2回の入院は、家族から離れ、自由を謳歌している時になっています。これは、今まで抑え込まれていた物が、両親という鎖から解き放たれて、脳内のホルモンがめちゃくちゃに暴走したからかも知れません。つまりは、とても楽しくストレスが開放された時に発症しています。こんなケースは少数派であり、たいていは何らかのストレスから発症すると思われます。

 2回目の発症は友達と飲んでいる時に「トイレに行く」と言い、友達を残して新宿の街を1時間以上さまよっていました。その間には、自分は時間を止める能力があるや透明人間になれるという妄想に取り憑かれ、しらない居酒屋の厨房を勝手に入って、店員に難癖をつけたり、片目をふさいだまま国道をあるいたりしていました。最後は道端に寝転がり、「もう死んでしまう」と叫んでいました。そこへ友達が現れて救急車を呼んでくれました。その時は昔付き合っていた彼女の妄想をしており、「このネックレスが彼女との思い出のものなので、私が死んだら渡して欲しい」と友達に託しました。友達は本気で心配してくれ、「大丈夫やからな」と何度も励ましてくれて居ました。

   救急車で運ばれた所は精神科では無かったので、そこでは入院できませんでした。次に警察に運ばれ、友達が色々状況を説明する中、私は床に転がり回わり、何かを妄想していました。もう夜中の1時を回っており、友達は仕事もあるので、付添はできずに帰りました。

   友達と別れ、私は警察署の中にある監視カメラ付きの牢屋にいれられ、薄い毛布を一枚だけ渡されました。幻聴で警察官の笑っている声や私に対しての暴言などが聞こえてきました。私はまた神になった感覚に陥り、牢屋を貫通出来て外に出れると信じきっており、貫通出来ないと分かると「おかしいな」と首を傾けていました。また、ご飯としてわたされたパンをちぎり、牢屋の穴から投げながら宇宙を創造した気分になったり、牢屋全体に放尿したりしていました。

   警察から親に連絡がいき、迎えに来るようになったのですが、後で聞いた話しでは「お母さんだけではとても連れて帰れないので、男の人も連れてきてください」と警官から言われたそうです。そして、叔父と叔母と母が車で迎えに来てくれました。そこからはもう疲れ切って居たので、車の中では暴れることもなく、うとうとしていました。

   そして、地元に帰ってからは、また同じ病院で医療保護入院となりました。今回再発した大きな理由は、前述したことと薬を勝手に辞めてしまったことです。その当時、頭が働かず、ものを覚えたり考えたりすることができずらかったのが、凄く嫌でした。また、感情が湧いてこないのも、薬が多いからと思いこんでいました。なので、どうにか薬を減らせるようにDr.に調子がいいアピールをしながら減量していきました。そして減量すると、自分の思いが通ったことと相まって、頭の働きも少し良くなった気でいました。そこでますます拍車がかかり、とうとう自分でリスペリドンを完全に辞め、寝るためにアルコールと飲んでいたセロクエルのみの服用に勝手に変えてしまいました。すると頭が冴えて、以前の自分に戻れた気になり、スクーリング時にもハイになリ、積極的に活動しました。それが、リスペリドンを飲まなくなってから、約3ヶ月後のことであり、ちょうどスクーリング時に再発しました。薬を飲まなかったことと、親からの解放が再発につながったと思います。

    ですので、皆さまにはDr.の指示なく薬の減量ややめることは絶対にしない方がいいことをお伝えしたいです。薬は脳を守ってくれたり、命を守るために必要なものです。ですので、Dr.の言うことは素直に聞き入れましょう。

    入院当初は閉鎖病棟で手足を拘束され、バルーンを付けていましたが、薬のききがはやく、幻覚妄想はすぐに落ち着きました。そして、一 般病棟へ移り、約40日ほどで退院できました。

    今回1番お伝えしたかったことは、薬の服用は大事ということです。それぞれに考え方はあると思いますが、ご自身の身体と脳をご自愛ください。ちなみに再発する前に飲んでいた薬の量は、リスペリドン0,5㎎とセロクエル50mgほどだったと思います。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございました。