統合失調症と両親について自分の体験を元に記述していきたいと思います。
   
   まず、私は小学3年生から受験専門の塾に通わされていました。私はいま39歳ですが、当時3年生で塾に行っている子はほぼいませんでした。塾に行くだけならまだ良かったのですが、テストの点数が悪い時は、「お前はほんまにアホやな。こんな点数とってなんのために塾にいってんねん」や宿題や勉強を一緒にさせられると、「何回言ったらわかんねん。ほんましょうもない奴なや」や「こんなんもでけへんねんやったら、塾なんかやめてまえ」や「泣くな。しっかりやれ」・「分かるまで正座しとけ」などいつも眉間にシワを寄せた怖い顔で、時には頭を叩かれたり、心を傷つけられたりしながら、毎日を過ごしていました。父親との勉強が嫌で嫌で仕方なかったのですが、逆らうことは許されず、母親に「塾を辞めたい」と言った時も「今までいくらかかってると思ってるの。受験まで頑張りなさい」と言われ、勉強から逃れることができませんでした。

   母親はずっと傍観者で有り、恫喝や暴言を止めてくれることは一切ありませんでした。去年、母親と旅行に行った時に思い切って、なぜ止めてくれなかったのかを聞くと、「お父さんに養ってもらってたから、何も口出しできなかった。そういう時代だった」と言われました。父親は自分の思いどうりにならないと、機嫌がすぐに悪くなり、恫喝したリ叩いたりする人だったので、家族の誰もが逆らえませんでした。それでも、子どものために母親には父親と話し合って欲しかったのが本音です。

   そして、母親は子どもに「何かを決定させてくれる」権利をことごとく奪っていきました。例えば、欲しいものがあっても、私がほしいものより、母親が気に入った方を買うようにいわれたり、したいことをさせてくれなかったりしました。また、細かいことですぐに怒られてもいました。口応えは一切許してもらえず、どう考えても母親が間違っていても、誤ってくれることはなく、必ず私が謝らなければならない小学生時代でした。もちろん小学生なのでものの分別がついておらず、私が間違っていることもあったと思いますが、上記に書いたことは大学生位になっても、あまり変わっていませんでした。とにかく、子どもの声にちゃんと耳を傾けて向き合ってくれる親ではありませんでした。また、褒められることはなく、怒られたり、否定されたり、自己決定させてもらえなかったりしたことで、私の自己肯定感はことごとく失われていきました。

  食事中も父親は「しゃべって食べるな」と機嫌が悪い時に言ったので、家族団欒で楽しく食事をした記憶もありません。私にとって実家は自由のない鳥かごの様な窮屈な場所でした。母親は父親の反応に陰で睨みつけ文句を言ったり、父親はいつもテレビに向って文句(人を侮辱するような)をいうので、私は人の顔色をいつも伺うようになり、自分の気持に蓋をし続けました。

  この時の辛い時代を支えてくれたのが、以前に投稿した初恋の女の子です。この子のことを考えて、色々想像している時が心休まる一時でした。ですので、中学受験なんて全くしたくありませんでした。その子と同じ公立の中学に行きたかったのです。中学受験は見事に不合格でした。これで勉強から開放されたと喜ぶ気持ちと数百万円を無駄にした罪悪感が心に残りました。

   父親から存在否定され、母親から自己選択の権利を奪われても、両親は変えることができない唯一の存在です。どんなに嫌なことをされても心底憎むことはできませんでしたが、自分を表現することもできませんでした。しかし、毎年旅行に連れて行ってくれたり、子どもには対しての愛情はあったと思います。ただ、私は両親に余り期待を持たなくなり、両親は愛情の表現方法が下手で私にうまく伝わらず、すれ違って居ました。
   
   高校・大学・大人になってからも言葉を交わして話し合い、お互いを1個人(自分とは違う存在)として認め、尊重しながら物事の折り合いや解決方法を探し、家族が協力して物事に取り組んだ経験がありません。そして、夫婦の仲もどんどん悪くなってきました。もはや、家族全員の気持ちはバラバラです。

   前置きが長くなりましたが、家庭環境が後の精神病につながる事はあり得ると思っています。ですが、なってしまったものはしょうがないと諦め認めるしかありません。両親のせいにして謝罪を求めたとしても何も変わりはしません。ましてや、そんな親なので自分が悪いとも思わないでしょう。ただし、私の知らない、親には親の言い分や気持ちがあるとは思います。

   それよりも、今まで育ててくれて、今私が生きている事に感謝できれば、どれほど素晴らしいでしょうか。過去を憎み、現在をがんじがらめの鎖で囚われる必要はありません。虐待や虐待に近いことをされても、場合によっては許しましょう。これはいじめにも言える事だと思います。過去の嫌なことに囚われれば、今を自分らしく生きられなくなります。どうしても囚われてしまえば、「そうだね。嫌な思いをしたね。嫌な気持になっても仕方ないよ」と自分だけは自分の味方になってあげましょう。どんなに自己肯定感が低くても、この世にたった一人の自分だけは味方でいてください。心が求めているたった一つの事は、貴方が貴方に褒められることです。

  私は両親から褒められませんでしたが、努めて自分を褒めたいと思っています。どんな小さいことでもいいのです。自分を褒めて自分を好きになりましょう。それが、幸せにつながっていくと思います。

  私の本心は両親を恨む気持ちと愛する気持ちの両方があると思っています。場合によっては、どちらが顔を出してもいいと思います。病気になったことを両親のせいにしたい自分も、両親が大事で大切にしたい自分も両方がいます。愛情飢餓感や両親に依存している一面も私にはあると思います。
    しかし、それでいいのです。無理に両親を好きにならずともよく、その時の自分の気持に正直であればいいのです。両親が嫌なときは距離をとり、嫌でない時には会えばいいのです。自分の気持に嘘をつき、両親を含むだれかのために自分に嘘をつくことが、心の健康を奪っていきます。これからは、自分の感情に正直に生きたいと思います。
    
   最後まで読んでいただき、ありがとうございます。心の健康を養って、ゆとりを持って毎日を過して行きましょう。